2011年8月11日木曜日

大山・這い子坂・易往寺参観

 8月7日(日)大山・這い子坂近くにある現代押し花アトリエ「花あそび」で、「大山道・道標の話を聞く会」がありました。伊勢原市歴史アドバイザーの西部氏が相模川以西の大山道・道標をもれなく訪ね歩き、写真撮影した過程や道標にまつわる話を聞く会で、世田谷の出版社風人社さんや江戸五街道と大山道を踏破した海老名市のT氏、市の文化財課の担当者などにもおいでいただき、総勢10人ばかりの集まりでしたが話が細部にも盛り上がり、大山道の新しい紹介分野に話が弾みました。
 易往寺見学は会終了後、会場を貸していただいた方が易往寺の親戚筋に当たっていたので、紹介していただき、ご住職さんはお留守でしたがお内儀の計らいで、じっくりと見させていただきました。
 易往寺の仏様は伊勢原市教育委員会が編集した「伊勢原の仏像」にも掲載されており、又、今は安産の寺として有名です。

大山・東学坊さんのHPには次のように紹介されています。

大山街道を進むとバス停「這子坂」(はいこざか)があります。
 
『易往寺』(いおうじ)はこの右手上方にあります。平成9年には念願の本堂が建立されました。この寺は大山にとって大きな役割を担っていました。
879年(元慶3年)、関東一円を襲った大地震による山津波や大火災で大山は一時壊滅状態となり、大山寺への参拝が困難になってしまいました。その際、大山を開山した良弁僧正(ろうべんそうじょう)の孫弟子にあたる大山寺第四世弁真和尚が大山不動の仮安置所として881年(元慶5年)に易往寺を建立し、庶民はここで参拝したのです。この地には通称・子易姥子様と呼ばれる、良弁僧正の母を手本とした「子易祖母山子育大日如来堂」が建てられ、民間信仰の「咳止めのおば様」と習合して安産子育・咳止めの信仰を集めました。現在その御堂はありませんが、今でも易往寺では安産のお札を頂くことができます。

 

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