2012年12月21日金曜日

特集 毛呂山人物伝「権田直助」(毛呂山町広報誌)発行されました。

 伊勢原・大山・阿夫利神社ゆかりの「権田直助」が生誕地の埼玉県毛呂山町広報誌で特集され、今日、その広報誌が我が家へ届きました。 
 「権田直助」については、その生涯の特異性や多事多難な生涯から、町の偉人として紹介されていませんでしたが、幕末の動乱期、勤皇の志士としての活動や国学者としての「句読点考」出版などの業績が認められ、毛呂山町は改めて、町の偉人に加え、子どもたちにも紹介を始めたようです。
 伊勢原でも、いせはら歴史解説アドバイザー等が阿夫利神社境内の銅像や墓地となっている権田公園等を調査研究する方々も現れ、伊勢原市郷土史研究会等でも取り上げられるようになっています。その主な観点は「神仏分離令」後の阿夫利神社の再興に貢献した祇官としての、また「句読点考」を出版した国学者としての直助の活動です。
 「直助」の生誕地では、没後125年記念企画展が、毛呂山町歴史民俗資料館で開催されたのは10月~11月にかけてです。「権田直助」に関心を持つ「いせはら歴史解説アドバイザー、4人の有志」は、大山関係の展示品(「中村屋」さんの所有する「神教歌譜」等)を提案する等、この企画展の担当者と連絡を取り合いながら、この企画展に参加させて頂いたりしたのが縁で、後日、訪問閲覧させていただきました。(11月14日の記事参照)
 この企画展を受けて、町の広報誌も特集を組んだようです。伊勢原関係の情報として、私の記事も掲載されています。 そして、この広報誌を関係する伊勢原の方々にも送付していただきました。と云う事で、この広報誌のお陰で、私が「いせはら歴史解説アドバイザー」にならせていただいてから、ずっと心で描いてきた國文学者として、初の句読点に関する著作「句読点考」を著した権田直助の偉業を世間に広めたいと言う念願の大部分がクリアされました。


 広報誌は新聞紙型ではなく、28ページに及ぶ雑誌型で、とても見ごたえのある町の広報誌でした。その一部を紹介します。

2012年12月17日月曜日

「中国王朝の至宝」(国立東京博物館)特展観覧してきました。

 細君が「押し花教室の研修会」で、小田原に終日出かけると言うので、私は上野に出かけることにした。目的地は表題の特別展。
 予定では、上野の会場まで2時間。ピッタリに博物館に到着。会場は「平成館」。
 しかし、そこで待っていたのは、手荷物検査。ザックを開けるよう指示され、内容物をチェックされた。多分、現在の尖閣諸島の一件で、トラブルを警戒をしているのであろう。文化交流に、この様な心配をしなければならないのは悲しい。しかし、これが現実であろう。
 私の最の関心事は、「夏」の出土品。しかし、会場で出合ったのは、夏や殷と同時代とされる「蜀」の出土品であった。思い起こせば、四川省で出土した「蜀」の青銅器の出土品は、今までにない形状と模様で、世間にデビューしたのは、何時であったろうか!?その事を、すっかり忘れていた。
 昭和30年、高校生の頃、受験と云うので覚えさせられた中国王朝名は、「夏・殷・周・春秋・戦国・秦・漢・三国・両晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国」であった。「蜀」は無かった。
日本史と中国史はこんな漢字が嫌で、カタカナで良い世界史に走った。
 そこで、「カルタゴの名将ハンニバルは、10万の兵と37頭の象を従えて、ピレネー越え、ローマに攻め入ったが、ローマの騎兵に、如何ともしがたく、遂に、自滅!」と広島大出身の伊賀仁先生の名調子に出会い、西洋の古代史にのめり込んだ。
 伊賀仁先生は所属した山岳部の顧問でもあり、部歌は広島大山岳部の部歌をそのまま引用。しかし、その歌は、芹洋子さんが歌っている「坊がつる賛歌」でした。
  そんな青春の一時期を思い出した。
 しかし、この朝、駈け込んだ新宿行きの急行電車で、初めて若い女性から、「席」を譲られた。誕生日から、72年9ヶ月後の事である。
 まだ、ゴルフでは、ドライバーを持てば、250ヤード飛ぶんだけどね。
 29年ぶりの師走の衆院選挙も、朝、投票を済ました。
 政治に期待するのは、景気浮揚以外は、今の所ない。


 




2012年12月3日月曜日

伊勢原での「第九演奏会」ネット配信されています。

 平成24年12月2日(日)伊勢原市民文化会館大ホールで演奏されたベートーベン交響曲第九番「合唱付」がネットで配信されました。
 このイベントは昨年から始まった文化会館の記念イベントの一つで、今年は私も合唱団に入り、三ヶ月間の急ごしらえで、歌いましたが完全には暗譜出来ず、隣に先生に来ていただいて、ようやく歌いきることができました。
 友人に誘われ、目的意識を持って練習を重ね、先生や仲間の方々の後押しもあり、オーケストラとの音合わせの時期から興奮していました。
 当日は、約1000人のお客さんを前に、今までにないテノールな声を出すことができました。当日だけ加わった先生や応援の音大生の方の正確な音程があったので、兎に角のびのびと歌う事ができたのが良かった。
 今日、花束を下さった友人からのメールで、褒められたり、車検を頼みに行った近くの自動車修理工場の若奥さんから、「去年より良かったよ!」と拍手を頂いたりと今日は嬉しい一日であった。
 別件で、電話した友人から、ネットで配信されていることを教えられました。


iijimand @ Ustream.TV - . 無料ライブ配信






2012年11月30日金曜日

市内小学校へ出前授業「縄文土器作り」

体育館授業開始
平成24年も終わりに近い11月30日(金)、最後まで残っていた市内の小学校6年生の「縄文土器作り」出前授業の「お呼び」がかかった。前回、別の小学校の「縄文土器焼き」の出前に参加できなかったので、「次回はお願いしたい。」と頼んでいたからであろう。市の担当者は良く覚えていて下さり、4,5日前、ありがたい電話連絡があった。
 今回は、私の居住地の学区外で、初めての訪問で、校舎の様子が分らず、おろおろしたが何となく、皆と一緒に体育館に集まることができた。
重厚な作品。手前の凹みは縄文
6年生は130名位で、3組に分かれていると言う。今、伊勢原では児童の居住区に変化が多く、学区の編成が大変らしい。
 所で、今回一番感動したのは「促進学級」の子どもたちも5名が、1クラスとして「縄文土器つくり」に挑戦してくれた事だ。朝の打合せ時に始めてお聞きし、直ぐ、手を挙げて、担当を希望した。市の担当者は承知していてくれ、始めから私を考えていたと言う。嬉しい配慮である。市民の得意分野を活用できる職員のおられることを自慢したい。
 と云う事で、現役時代に返り、思い切り好きなように「授業」ができた。若い担当の先生方もチームとしての役割を十分果たしてくれた。これからの促進学級はチームでの授業が主流になっているのであろう。
右の人形がマトリョ―シカそっくり
子どもたちは級友の言動に、注意や讃美の言葉をかけながら、楽しそうに取り組んでいた。粘土教材を好きな子どもたちは多い。たまに、肌触りに拒否を示し、パニックになる児童もいるが今回は皆、ニコニコ、楽しんでくれた。
 土器焼き時には、この子どもたちの作品を是非、「自分も入って、焼いてあげたい!」という思いが強く、1月10日の土器焼きには、万難を排して参加したいと担当者に電話してしまった。
 写真は体育館での様子と子どもたちの作品である。それぞれの作品について私の感じた所の解説も加えた。




口の二重模様が独特。外側に模様は無い。
ハートが可愛い。
内側に縄文をきれいに付けている。素晴らしい!!


おしゃべりと数字の好きな子の作品
上の二つを上から撮った物。特徴が良く分かります。


2012年11月16日金曜日

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記③



側を流れる谷川。この谷川が
龍のように暴れたのでそれを
宥めるために龍穏寺が建立されたとの事

越生町訪問点描 

越生町パンフより



越生町訪問点描 


越生町パンフより

龍穏寺山門

経堂

経堂の外壁の木彫

道真・道灌の墓標


道真退隠の地の碑(梅畑の奥にあり、
この2m四方位だけが町の土地だそうです。




大山道道標と聞き、夢中で調べ始めたクルー









建康寺


     

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記②

   「権田直助没後125年企画展」展示点描

         (於:毛呂山町歴史民俗資料館)

                                      「資料、展示写真は毛呂山町歴史民俗資料館提供」

毛呂山町歴史民俗資料館
資料館入り口にて



展示室

権田直助肖像画
展示説明


伊勢原市関係展示場所(右端にKAZESAYAGE)

大山参道中村屋提供の神教歌譜

「権田直助の生涯」を掲載予定のKAZESAYAGE(風人社)も展示
文明開化に関する直助の書

新神殿造築前の阿夫利神社(貴重)


2012年11月14日水曜日

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記①                                         

 平成24年9月8日(日)伊勢原郷土史研究会総会後の記念講演で、「権田直助の話」をいせはら歴史解説アドバイザーの西部・斉藤がさせていただきましたがこれは伊勢原の地では初めてのことでした。
 同じ頃、権田直助の生誕地、埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館では「権田直助没後125年企画展」準備の真っ最中でした。これも、毛呂山町では初めての企画で、直助の生涯に関しては様々な危惧のある中、淡々と権田直助の生涯を展示しようと努力を重ねていました。
 この両市町の有志たちは相互に連絡を取り合い、展示物なども工夫を重ね、終焉の地、伊勢原に残された資料なども展示されることになっていました。
 このことを受け、最初に西部氏が、「見学にゆかなくちゃ!隣町の越生町には、太田道真ゆかりの龍穏寺もあるよ!」とつぶやいたのがきっかけとなり、ISEHARA・おもてなし隊が計画し、いせはら歴史解説アドバイザー四人が集結、、二つの伊勢原ゆかりの町を訪問することになりました。
 その計画書は次のとおり。


  伊勢原市ゆかりの権田直助の生誕地及び
         太田道眞の墓所訪問ツアー企画書

1、趣旨
  現在、「ISEHARA・おもてなし隊」の関心事である権田直助が、出生地の毛呂山町歴史民俗資料館で「権田直助没後125年企画展」(10月14日~11月19日)が開催されている。また、伊勢原市民にゆかりの太田道灌の父、道眞の墓所のある龍隠寺(越生町)と毛呂山町とは極めて近い場所にある。
  ついては、この機会を捕え、二つのゆかりの地を訪問し、長年の念願を果たしたい。
2、主 催   ISEHARA・おもてなし隊
3、応 援   諏訪間伸氏(伊勢原市教育委員会文化財担当)
4、期 日   平成24年11月13日(火)
5、訪問地 ①毛呂山町歴史民俗資料館(担当者:佐藤春生氏)
      〒350-0432 埼玉県入間郡毛呂山町大字大類535
 
          TEL 049-295-8282
  訪問地 ② 越生町龍穏寺   
          埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452番地
案内と解説:越生町図書館長
(文化財兼図書館担当)石川久明氏
350-0416 埼玉県入間郡越生町越生925-1
  TEL 049-292-6116
6、参加者
   宮崎武雄(大山道の保存、研究者・NPO雨岳文庫理事)移送担当 
   齊藤勢吾(ISEHARA・おもてなし隊代表)企画推進担当
   西部周子(伊勢原市観光ボランティア)会計担当    
   渡部満男(伊勢原郷土史研究会々長)広報担当
         (以上四名共、いせはら歴史解説アドバイザー)
7、移送   自家用車(提供:大山参道・中村屋)


8、日程   平成24年11月13日(火)
       6:00 伊勢原市岡崎 西部邸前出発   
               距離:149km時間:約3時間(一般道路優先)>
<コース①伊勢原市⇒八王子市⇒昭島市⇒福生市⇒飯能市
               ⇒日高市⇒毛呂山町>
10:00 毛呂山町歴史民俗館着(見学1時間)
12:30 昼食
      (毛呂山町から越生町まで車で20分位)
14:00 越生町龍隠寺着(見学1時間)
15:30 龍隠寺出発
22:00 伊勢原市岡崎 西部邸着
(時間配分はあくまでも、予定。


2012年11月5日月曜日

竹園小学校、地域への「学校だより」で「縄文土器作り」を報告

 平成24年11月4日(日)自治会の回覧版で、回覧用「竹小地域だより」が回って来た。
 その中に、「土器作り」とのタイトルの最初の記事が飛び込んできた。竹園小学校が教育委員会文化財課とタッグで取り組んでいる「縄文土器作り」の報告である。いせはら歴史解説アドバイザーとして、今年は「土器焼き」だけの参加だったがとても有意義な一日であったので、この報告は嬉しかった。
 来年度はぜひ、1学期の「土器作り」から、参加し、指導のお手伝いをしたい。



 

2012年11月3日土曜日

指揮者を迎え、「第九」のレッスン!

 11月1日(木)はベートーベン交響曲第九番「合唱付」を演奏する「テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ」の指揮者、田中一嘉氏を迎え、初めての合唱の指導を受けた。
 合唱指導は木下朝滋氏が初心者からの歌の指導をされたいるが、今日は一応歌うと言う歌唱はクリアし、その上の指導と云う事になるので、今までとは一味違ったレッスンとなった。
 先ず、声の出し方から入り、一寸した音程のはずれも見逃さない。今までは、ただ覚えればよかったがそうは行かなかった。指揮者の音程が自分の気に入るまで何回もレッスンが続く。何となく、プロの歌手になったような気分になった。私にはそれほど高い指導内容でした。
 木下先生は、まだ暗譜していない私の後ろに立って下さって、一緒に歌ってくれたので、当日まで何とか歌えるような気分になって、豊かな気持ちで帰宅した。

2012年10月31日水曜日

「花」の皆さん!!「色紙」ありがとう!!

 10月13日(土)NPO法人「花」の交流会のイベントで「歌好き我ら」がコンサートをやらせていただきましたがその「お礼」の色祇が、今日、届きました。
届けられた色祇
明日、年末のベートーベン「第九」の合唱練習で、仲間に会うので、早速持参し、回覧で見てもらう事にしました。
 「色祇」が届くとは思っていなかったので、びっくりするやら、嬉しいやら・・・・・。
 「花」のスタッフの心の細やかさに、感動しました。
 「色祇」ありがとう!!
 かつて、昭和55年頃、湘南養護学校で、余命わずかと医師から宣告され、小学校の就学も危ぶまれていた女の子も「花」に通所されていて、30歳を越えられていました。その時、涙ながらに教育相談に来られたお母さんとも再会でき、記念すべき一日となりました。
 「花」の利用者の皆さん、スタッフ、理事の方々、皆さんの前で歌わせて頂いてありがとうございました。
 これからも歌の練習を頑張りますので、来年も交流会に呼んで下さい。

2012年10月28日日曜日

文化財ウォーク「出府諸用控に見る江戸への旅」             地代官山口作助の歩いた道・第1回目無事終了

 昨日、平成24年10月27日(土)「NPO雨岳文庫を活用する会」が担当した表記の文化財ウォークの第1回目が無事終了した。スタッフは何回も試歩を重ね、安全に、効率的に且つ、内容の深い文化財ウォークにしたいと打合せに長時間使ってきたようだ。自分はその後を追っただけだが初のガイド担当を希望し、緊張した一日を送った。
火伏不動堂で2回目のガイド
ウォークは35名ほどの参加者と20名ほどのスタッフで、3班に分かれて移動した。自分は2班に所属し、普段から気心知れた遊び仲間や趣味仲間が一緒だったので、発音障害も何となく乗り越えて、4カ所のガイドを行う事ができた。班の参加者の中に、遊び仲間が3人いてくれたお陰で、勇気を出す事は出来たが、十分なガイドができたかと言われると首を振らざるを得ない。
出発前の全体説明
先ず、説明場所、何処に集まって頂くか?他班との位置関係、話の切り出しや終了、移動への誘因のタイミング等、実際の場では戸惑う事が多かった。と云う事で、ガイドとなるとまだまだ未熟であろう。しかし、折角集まって頂いた皆さんには、最大のおもてなし(充実したガイド)をしたいものである。
 「山口家」でボランティアをされておられる方々の心遣いもすばらしい。担当された誘導や記録、受付などは勿論であるがその他の使用品までの心遣いは素晴らしい。特に、手作りの誘導旗は重さや、太さなど工夫され、長時間使用しても手に疲れは全く感じられなかった。
 また、今日のウォークで、感動したのは、老鋪享保創業という「茶加藤」の店内見学で両替価格や明治期のガス灯など、珍しい文化財を見ることができたことである。市の文化財担当者の苦労の一端が窺えた。
  この日程、退職後12年間に内、合唱の発表会で、掛け声のソロを担当した時以来の、充実し、そして興奮した一日となった。

両替単価の看板(茶加藤で)



ガス灯(茶加藤で)
 





















主催者「雨岳文庫」の報告HP

http://www.ugakubunko.com/htdocs/index.php?action=pages_view_main&active_action=bbs_view_main_post&post_id=354&block_id=34#_34

「全部假的」氏のブログ <ヒッキーハイク、伊勢原の第1回文化財ウォークに行くお(^ω^ )その3>

http://jia4de.exblog.jp/18614425/


次回は来年の3月2日(土)、大山・田村道の平間バス停から寒川町の景観寺まで歩く。寒川町はかつて教育委員会社会教育課にいた事があるので、文化財については多少知識がある。それを生かして、寒川町の文化財のガイドを担当させてもらおうと思っている。

「全部假的」氏のブログ<ヒッキーハイク>