2012年5月21日月曜日

932年ぶりの日食が見えた!!!


7:34頃

2012年5月21日(月)7時30分頃、我が町伊勢原市でも、932年ぶりの金環日食が観察できると云うので、観察用眼鏡を500円で購入して、心待ちしていたが当日は生憎の雨。
諦めて、もう一度雨空を確かめようと窓際に近寄ると、岡崎城、野陣台に登る坂道に、ご近所さんが集まっているのが見えた。
もしかして・・・と思い、妻を誘って、デジカメを抱えて、外に飛び出した。
高橋家の門前から、薄い雲間に、金環が見えた。皆、昂奮して、「見えた!!見えた!!」と声をあげている。
雲が観察用眼鏡代わりになり、裸眼で見える。早速、デジカメを向ける。しかし、カメラの画像ではよく見えない。
雲に隠れたがもう一度、顔を出した。それを動画で撮影。
急いで、家に入り、パソコンで再生、トリミングして見るとよく写っている。
7:36
動画にも、一瞬だが、はっきりと写っている。
「やったー!!」
予定どおり、ブログに投稿したので、見て下さい。
7:36
昨日の「三宮勾玉祭」の、勾玉作りのテントで、アマ・写真家の鎌田氏に会い、プロの日食写真を頂く予定であったが、その前に「素人」の写真が撮れた。プロの写真は後日、投稿します。


動画URL     http://youtu.be/j66L3GKTg9A


2012年5月20日日曜日

横浜・日本大通り「新聞博物館」から                           ☛横浜駅西口HEY-JOEの「智恵さんのゴスペルライブ」

19日(土)は、午前中、「さくら福祉農園」の法人化5周年記念イベントに参加。
明治12年の新聞には句読点は無い。
午後は、懸案である「句読点」の調査の為、横浜・日本大通りにある「新聞博物館」へ。新聞で句読点が使われ始めたのは、何時頃であろうか?係官の援助を受けながら、明治初期の新聞の縮刷版などコピー。驚いたことに、ここではコピーがA4から、モノクロで30円。500円玉が直ぐ無くなった。
それでも、かなりの収穫。冊子の「句読点」の事例もコピーできた。
5:30、智恵さんのゴスペルライブに出かける3人の友人と待ち合わせた西口へ。蕎麦などを食べてから、HEY-JOEへ。階段下で、智恵子さんと出会う。「今日は先日ほど混まないから、中央の席へどーぞ!」とにこやかに迎えられる。胸元など一寸つまんで、居住まいを正す。今日の歌姫も妖艶である。
queenーc
ライブはデュオを組んだ二人の馴れ初めから始まった。いかにも、ミュージシャン風のピアニストが「ゴスペルと云うのは聖書を歌うと云う事なんだよ。」などど私宛に説明しているような口調で解説。
しゃべりはどうあれ、ピアノを叩く技には舌を巻いた。しかし、私には十分巻ける舌は無かったが・・・????
二人のゴスペルはジャズっぽい。相手方が歌われた「アメージング グレイス」が特にジャズっぽく感じられた。しかし、彼女の高い声は澄んでいて、快適である。二人はおしゃべりを交えながら、スティービーワンダーの歌など盛りだくさん歌っってくれた。
今回、座席が中央と云う事もあって、歌い手の方と正面から対峙する。一寸照れくさいが知恵さんの歌っている姿を正面から撮影できたのは幸運であった。
お聞かせしましょう。2曲、You Tubeに投稿しました。



http://www.youtube.com/watch?v=z3uC-vIeoaM


2012年5月19日土曜日

東日本復興支援で気仙沼・大島へ 【3】                     お年寄りの孤独死防止☛園芸療法+花の種


女将さんと被災者の方へ花の種を・・・

2日目の夕方、震災時、島の港の近くに住み、津波でお孫さんを亡くされた方が訪ねてこられましたが、宿の庭で畑を作り始めたそうです。丁度、妻がボランティアをさせて頂いている「伊勢原市みどりのまち振興財団」から頂いてきた買い物袋一杯の花の種を宿の女将さんにお渡ししようとしていた所だったので、この方にもお渡しすることができた。
「明後日、島のイベントがあるので、皆さんに配ります!!」とのお言葉を頂いた。
島のイベントと云うのは「島の小中学校合同の運動会」のことである。小学校の校長先生の話では、小中学生全員で、お揃いの法被を着用し、「よさこい」を踊ると云う。「島民大運動会になりそうですね!!」と云うと、「そのとおり。運動場に復興のシンボル、大漁旗を揚げてやろうと今、策を練っている!!」と話してくれた。
新聞紙で作ったポットに土入れ

頂いた花の種は何とか島の皆さんに届きそうである。種の袋には「伊勢原市」と印刷してあるのが誇らしく見えた。




東日本復興支援で気仙沼・大島へ 【2】                      お年寄りの孤独死防止☛園芸療法+伊勢原男声合唱団の歌声

風呂場とトイレは残った
2日目の「園芸療法」の最初の訪問地は島の中学校校庭に建てられた仮設住宅。
外には誰も出ておられないので、一軒一軒お尋ねし、お声をかけて、集会室にお出で頂く。杖をついた方にはメンバーが連れ添う。集会室には10人ほど来ていただいた。
仮設住宅
驚いたことに集会室の壁には模造紙に書かれた「ふるさと」の歌詞が・・。もっけの幸いと「最初にふるさとを歌いませんか?」と提案。島の皆さんに聴いて頂き、元気になって頂こうと持参した「伊勢原男声合唱団 マイスタージンガー」の歌を吹き込んだテープを回す。加藤さんのピアノが流れ、歌が始まると皆、歌詞に目を写し、大きな歌声となった。作業は始まったがバックミュージックに流していたテープが「浜辺の歌」を歌い始めると、「この歌、大好き!!」と大きな声が・・・。「これは、私たち、神奈川県の辻堂と云う海岸の歌です。」と説明。しかし、歌声の方が大きい。
時計の下が歌詞カード

「持ってきて、良かった!!」と改めて旨を撫で下ろす。「マイスタージンガー」の木下先生以下、団員の皆さんのご協力に感謝した。その日の夕方、宿の女将さんから5人のクルーの話を聞いた島の小学校の校長先生から校長室のご招待を頂いた。校長は震災後、4月に着任した島出身の方と云う。素晴らしい人事だ。話の途中で「合唱団」の話になると、「私は朝礼で、ギターを弾き、子どもたちと歌を歌っている。歌は<青い山脈>」という。側にギターもあった。「一曲どうですか?」と促すと「やりますか!!」とギターと手にし、弾き出す。職員会議後の校長室から響き渡った。私も日頃の練習の成果を精一杯出るように、立って歌いだしていた。
小学校グランド
校長先生と
その後、ご案内頂いた学校の窓から校庭に立つ「二宮金次郎」の銅像が見えた。地震で足が折れたが直したと云う。側には声帯模写の江戸屋猫八・子猫の名前も彫られたた碑が建てられていた。

持参したテープは、宿の女将さんから届いたら、子どもたちにも聴かせたり、関係者に届けると云う話もしてくれた。歌好きの校長は約束を守ってくれると思う。




東日本復興支援で気仙沼・大島へ 【1】                       お年寄りの孤独死防止☛園芸療法で傾聴ボランティア


花壇完成
気仙沼港の様子
 「園芸療法」(植物による心身の活性化を図る)で、東日本大震災の復興支援をしようと云う5人のクルーが、島全体が津波と火事で大きな被害を受けた気仙沼市大島に4日間の日程で、行ってきました。
花壇作り
呼びかけたのは、「園芸療法」の推進者であり、また、実践の場でもある、「さくらの家福祉農園」(農業で福祉を目指している福祉施設)の理事でもある飯田氏。集まったのは理事の斉藤、後援会長の朝倉氏、関係者の岸部氏、香川氏の5名。香川氏以外は皆お年寄り。朝倉氏調達のライトバンに、「さくらの家福祉農園」で育てた、花の苗を積み込み、伊勢原駅南口「アサクラ眼鏡店」の前を出発したのは、5月15日(火)夜10時30分。皆、あらゆる危険を覚悟し、各種の保険に加入。
気仙沼には翌朝5時半到着。そこで、飯田理事が前回訪問で知り合った被災者の支援物資を届ける。
基地「明海荘」
気仙沼港は1年経過したのに、震災当時と殆ど変っていないように見える。がれきの山があちこちに・・・。
フェリー(25分)で大島に渡る。大島も気仙沼と同じ状態。
この日は、島の復興の拠点となっており、また、5人が基地とした旅館「明海荘」のボランティア広場の花壇作り。







仮設住宅訪問
急遽屋外で教室
キャンプ場跡の仮設住宅で
翌日は、3か所の仮設住宅で、お年寄りと一緒に、「園芸活動」。新聞紙でポットを作り、種をまき、名札を挿し、発芽から育苗、収穫へと導く作業。(写真)最高齢者は92歳でした。津波の話になるとつい泣き出してしまうと云う方もおられました。
3か所で、30人ばかりの方々と種をまいた。
最高齢者と談笑するクルー
その夜誕生日を迎えたメンバーの一人は72歳になられた。まだまだお元気である。
翌日、「さくら福祉農園」に帰着したのは夕方5時。運転は何故か、最高齢者の朝倉氏。兎に角、無事家に帰りました。




◆感想:::私たちの訪問は短時間で、イベント内容もささやかなものです。しかしそこれによって、島の方々がお互いに訪問し合い、お互いの様子を知ることができる機会を作りました。そして、また励まし合い、手をつなぎ合って、お互いに元気になれる機会を提供できたと思っています。




2012年5月12日土曜日

伊勢原・西富岡・向畑遺跡見学会(第3回目)に参加

友人の原さんが行くと云うので参加。文化財課の諏訪間さんの勧めもある。150人以上の参加者があり、考古学への関心の高さが見えた。
第2回目は参加できず、貴重な木簡を見る事ができなかったが今日写真で見る事ができた。(写真)
木簡
3人は「遺物展示場所」で一緒になり、不明の遺物について諏訪間氏の説明を受ける。

本日の見学会の重要ポイント(私にとっての・・・。)
①水場遺構(写真)・・・・木組みがあり、採取した胡桃やドングリの処理施設と思われる「土坑」などはっきりと見える。小田原の「千代」の水場遺構を見学した事があるがこれ程はっきりしていない。全国でも珍しいと云う。

水場遺構



礫群(焼き石で肉など焼いた)

槍先形尖頭器


②石器時代の21000年の層から出土した「槍先形尖頭器と礫群」(写真)の出土。
特に、「礫群」は調理用の焼き石群という。初めて見た。また、尖頭器も縄文期の黒曜石とは一味違う鈍器に近い。





漆器
③水場遺構出土の「漆器や木鉢(県内初出土)」(写真)が出土。縄文期の漆器は珍しい。

木鉢

④「土坑」に詰まっていた「木の実」。木の実を食べるまでの処理方法が理解できる。
⑤「多穴土器」(写真)の出土。見たことがなかったが穴に木の実を入れて、一挙に打ち砕くための道具と知った。


多孔石(木の実を多量に割った道具)





2012年5月5日土曜日

念願の大山山頂へ・・・二人で阿夫利神社本社参拝

下社への階段は元日並み
5月3日(木)、「明後日の5日は、上天気になるので、大山に登りませんか?」と、歴史解説アドバイザー同期生の原氏よりメールが送信されて来た。今年のゴールデンウィークの2,3日と大雨が西湘地区を襲い、夏野菜の移植がままならなかったが4日は何とか晴たので、苗移植は半日で終了。
5日は朝から晴天。8時に伊勢原駅待ち合わせ。
最初の難関。石の長い階段
バスは家族連れで超満員。参道も賑やか。序に、参道途中の「中村屋」さんの御隠居さんにお借りしている「神教歌譜」をお返しして、ケーブルカーに乗車。今日は「子どもの日」で、子どもの乗車賃は50円という粋な計らい。
9時半頃、下社に参拝後、出発。直ぐ、最初の難所、「石段」を登る。既に音をあげる子どもの声が聞こえる。登山道は家族ずれで、渋滞しそうなほどの混みよう。
途中、「高尾山より何十倍もきつい!!」という瀬谷から来たと云う小学生と仲良くなった。可愛い幼稚園児はつい声をかけてしまう。
20町目富士見台から
山頂には11時ごろ到着。原氏は初めてらしく、満足感で一杯の様子。
前社、本社、奥ノ院に参拝し、撮影を済ませ、ごった返す人込みの中の木陰に場所を取り、早めの昼食。
前社が見えてきた
本社
帰りはヤビツ峠に下ると云う。初めてのルートだが問題無い。一時間ほどでヤビツ峠に下り、バス時間を見ると1時51分発という。1時間ある。一寸戻って、休憩所のような広場で、敷物をひいて、二人で横になり、一時間世間話。この時間が最も充実していたかな!?
大きく様変わりした秦野駅に着いたのは二時半ごろ。
「大山のことを勉強していて、一度も大山の山頂に行っていないのは自分だけ。それが気になっていたが、一人では挑戦しにくかった。しかし、今日は同行者がいてくれて実現でき、とても満足!!これで、大山に何回も登頂し、大山の素晴らしさを教えてくれたM女史に顔向けができる!!」」と原氏から、分かれ際に感謝の言葉を頂いた。しかし、原氏には、今まで、それ以上の協力を頂いている。
私にとって、これが最後の挑戦になるだろうおもうがとても清々しい気持である。
世間話での「二人の疑問」
①ケーブルカーはどうやって大山まで運んだのだろうか?
奥ノ院で撮影(原氏のブログデビュー)
②下社から山頂まで28町に刻んでいるが何故、28なのだろうか?
ヤビツ峠のバス発着所