2012年8月1日水曜日

大山参詣・柏尾道・不動坂道標・追分御不動尊祭禮に出席

横浜市戸塚区柏尾町にある追分御不動尊は大山道・柏尾道の交通安全祈願を兼ねた道標として建立されたようです。周囲には様々な石塔がありますが近代になってから集合させたようです。
平成元年横浜市の史跡に指定され、以来、地域で後世に伝えようと、7月27日に祭礼を行う様になったようです。(チラシ参照)
普段は祠の中に鎮座しているが祭礼の日を、年一度の御開帳日にしたようです。
伊勢原市の大山道研究者の間では話題の道標で、例年、大山道の研究者宮崎武雄氏がご招待をうけて、出席していましたが今年は都合で出席できない。そこで、代参となった西部周子氏から同道を誘われ、かつての通勤路だったので、予てから尋ねてみたかった藤沢、四ッ谷の道標も撮影しよぷと云う事で、車で行く事になった。
当日は金曜日であったので3時頃出発すれば大丈夫だろうと思っていたが月末。茅ヶ崎駅から渋滞となり、進まない。戸塚駅でも迷い道。しかし、6時前には不動坂に到着。
不動尊の祠前の道路は幹線の脇道なので車のとおりも少ない。道路半分を使って、テント3基ばかり並べ、地域の方々、老若男女一体となった祭礼が始まったばかりでした。丁度、坊さんが読経を終わったばかりの所でした。
ここに集められた石塔の中に、「千葉・松戸」と書かれた燈篭があった。聞けば、松戸の大山講の方々の建立とか。千葉からは舟で神奈川の港から上陸し、柏尾道をとおり大山に向かったと云う。また、平塚の須賀港からの上陸もあったと云う。

 この事に関し、西部周子氏より、次のようなご指導を頂きました。
<房総半島は大きいので富津あたりの人たちは浦賀が近いのです。最先端の房州の者は、これはもう、平塚、須賀湊を目指して来てくれました。船に誰か一人残って、番人を勤めなければならないのですが、残された若者は不満で、勝手に船を係留して皆の後を追う例が絶えず、取締りの文書が残っているそうです。誰が船で留守番なんかするでしょうか。行きたいにきまっています。守れない法律は法律のほうが間違っているのでしょう。>
 
大山の写真を集めた時、鈴木良明氏(現鎌倉国宝館館長)から、「千葉にも大山講があったのだから、千葉や相模湾からの眺望写真もあったら良いね!」とご教授を賜った話が、この燈篭と結びついて、千葉の大山講の実態がようやく認識できた。



帰路は、退職後、十数年、新道もできて、大いに変化した通勤道を、また迷いながら伊勢原に辿りついた。やはり、横浜には車で行くべきでは無かったと反省した。

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