2012年9月29日土曜日

さくら福祉農園(伊勢原・馬渡)の地域開放イベント「オープンデー」の稲刈り参加

 本日(H24・9・29)、社会福祉施設・さくら福祉農園(伊勢原・馬渡)の地域開放イベント「オープンデー」の稲刈り参加しました。
 さくら農園が水稲栽培を始めてのは4年前(?)からだろうか?
 「地域と共に歩く施設づくり」や元同僚教員だったS氏の着任もあって、強力な応援者となりたかったが、地域住民参加イベントの田植えや稲刈りは天候の関係で殆ど参加出来なかった。
 しかし、今年は上天気!参加者は14,5人ばかり。
 地域のお子さん連れの若い方々の参加が多く、始めての稲刈り鎌使いや稲田での迷路作り、ザリガニ発見など親子で楽しそうに参加していました。
賑やかに稲刈り開始
最後は文明の利器で

 当ブロガ―も、昔取った杵柄、稲刈りは上手いものである。参加者の若者に、動画に撮ってもらったのでユーチューブに投稿しました。見事な腕前を見て下さい。


2012年9月24日月曜日

縄文土器焼きのお手伝い・・・・伊勢原市立竹園小学校へ

  今日、9月24日(月)。
  今年も、学区である竹園小学校へ、いせはら歴史解説アドバイザー、7人の仲間と、縄文土器焼きのお手伝いに行ってきました。
  昨日は終日雨だったので、今年は残暑も少しは楽かなと思っていましたが30度近くの暑さの中、汗だくで、火守りや土器並べを頑張りました。
  今年は土器つくりをお手伝いできなかったが、子どもたちの元気な様子を見て、私たちも元気を頂いて帰りました。
  この様子は、次の竹園小学校のHPで紹介されています。

http://www.isehara.ed.jp/takezono-e/子どもたちの様子/1年生-5/#



2012年9月20日木曜日

伊勢原郷土史研究会総会で「権田直助」の話をさせて頂きました。

 今月の8日(日)伊勢原郷土史研究会の総会が行われ、その後の記念講演会で、会員の西部周子氏の「権田直助の生涯」についての記念講演がありました。
 権田直助については当ブロッガーも調査研究し、西部氏等と意見交換していた関係で、私も少しお話をする機会を得ました。
 「権田直助」に関して、こう言った公の場でテーマになる機会は少なく、伊勢原市では初めてではないだろうかと思われます。


 特に、直助の生涯については、「その切り口によって、評価が分かれる事」も多いので、生地の埼玉県毛呂山町も含めて、余り、公に語られる事はありませんでした。
 しかし、幕末から明治期の、世界史で云えば、ルネサンスと産業革命が同時に来たような時代にあっては、その業績の評価は急激な変化を伴うのは当然であるので、一概に、勤皇・草莽の志士としての行為と、また、神仏分離に積極的にかかわった直助を、かつての繁栄した文化の破壊者として、負の人として扱うのは危険のような気がします。ただ、同じ地域に、神仏双方が居住していたという事で、お互いその話題に触れないようにしたと言う気持ちは理解できます。


  しかし、国学者として、明治20年、彼が亡くなった年、この大山の地から出版した「句読点考」は、純然たる学術書として評価に値すると思っています。
  その事では、昨日、「権田直助の生涯」というテーマで、世田谷にある風人社と云う出版社の、小冊子KAZESAYAGEに掲載させて頂く事になっていた原稿について、テーマ追求不足なので再考を願いたいと言うメールを頂いた。
 その原稿については、直助の「句読点考」に関することをメーンテーマにせず、人間権田直助を書く事になっていたが、「切り口云々」をテーマにしながら、最後まで、全くその事に触れていなかった。
 編集者はその事を鋭く指摘して下さった。
  


  文章は「テーマに沿って、簡潔明瞭、そして分かりやすく。」書く。この事を再認識させて頂いた、最高の機会でした。


私は、相手の人格を大切にされ、きちんと大人の対応して下さる風人社のこの若い編集女子社員に、何時も元気を頂いている。

2012年9月19日水曜日

ベートーヴエン第九「合唱付き」コンサートの合唱団に             入ってしまいました。


 先月、第2回 ベートーヴン第九「合唱付き」コンサートの合唱団に入ってしまった。
 「入ってしまった。」と云うのは、「思わず」と云う意味であるが、そこには、己の老人生活を快適に過ごすための、「攻めと逃げ」の一手を感じ、意を決したら、現在の合唱団の師でもある木下先生に電話をしていた。
 しかし、余りにも、入団時期が遅すぎた。既に、全体練習に入っていた。団員は昨年歌っているので既に暗譜も済んでいる。私は何もできていない。「これは無理だ!」と後悔したが後戻りはしたくない。皆、歌の技術の向上に必死なのに、私は、譜面を追っているだけ。歌うどころでは無い。それでも、先生は拒否せず、受け入れて下さった。
 私の担当は「テナー」。最近、裏声も上手く出るようになり、オクターブ上の「ラ」まで出るようになったので、完全に覚えてしまえば、きっと楽しい一時が過ごせると思う。
 昨年誘われた時は、全く興味が湧かず、敵意さえ覚え、にべもなく断ったのに、何故急に歌いたくなったのか!? 問われれば理屈はあるが答えたくない。
 ただ、今日の読売新聞の編集手帳に、こんな言葉が掲載されていた。「第九合唱団員」加入の意味を最大限に生かすために、改めて、この最後の越後瞽女(ごぜ)小林ハルさんの言葉を胸に刻みたい。
春に頂いたチラシ
   『いい人と歩けば祭り。
       悪い人と歩けば修業』

先生が印をつけてくれた楽譜
 










H24・8・16 裕ちゃんの「ブランデーグラス」を弾く


 そして、これをバージョンアップするために、昨日頂いた「夏の大人のコンサート」に出演した時のピアノ演奏の写真を掲載した。
  「やると思えば、どこまでやるさ!」 
村田英雄さんの歌の一節を追求して見たいからである。