2012年11月30日金曜日

市内小学校へ出前授業「縄文土器作り」

体育館授業開始
平成24年も終わりに近い11月30日(金)、最後まで残っていた市内の小学校6年生の「縄文土器作り」出前授業の「お呼び」がかかった。前回、別の小学校の「縄文土器焼き」の出前に参加できなかったので、「次回はお願いしたい。」と頼んでいたからであろう。市の担当者は良く覚えていて下さり、4,5日前、ありがたい電話連絡があった。
 今回は、私の居住地の学区外で、初めての訪問で、校舎の様子が分らず、おろおろしたが何となく、皆と一緒に体育館に集まることができた。
重厚な作品。手前の凹みは縄文
6年生は130名位で、3組に分かれていると言う。今、伊勢原では児童の居住区に変化が多く、学区の編成が大変らしい。
 所で、今回一番感動したのは「促進学級」の子どもたちも5名が、1クラスとして「縄文土器つくり」に挑戦してくれた事だ。朝の打合せ時に始めてお聞きし、直ぐ、手を挙げて、担当を希望した。市の担当者は承知していてくれ、始めから私を考えていたと言う。嬉しい配慮である。市民の得意分野を活用できる職員のおられることを自慢したい。
 と云う事で、現役時代に返り、思い切り好きなように「授業」ができた。若い担当の先生方もチームとしての役割を十分果たしてくれた。これからの促進学級はチームでの授業が主流になっているのであろう。
右の人形がマトリョ―シカそっくり
子どもたちは級友の言動に、注意や讃美の言葉をかけながら、楽しそうに取り組んでいた。粘土教材を好きな子どもたちは多い。たまに、肌触りに拒否を示し、パニックになる児童もいるが今回は皆、ニコニコ、楽しんでくれた。
 土器焼き時には、この子どもたちの作品を是非、「自分も入って、焼いてあげたい!」という思いが強く、1月10日の土器焼きには、万難を排して参加したいと担当者に電話してしまった。
 写真は体育館での様子と子どもたちの作品である。それぞれの作品について私の感じた所の解説も加えた。




口の二重模様が独特。外側に模様は無い。
ハートが可愛い。
内側に縄文をきれいに付けている。素晴らしい!!


おしゃべりと数字の好きな子の作品
上の二つを上から撮った物。特徴が良く分かります。


2012年11月16日金曜日

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記③



側を流れる谷川。この谷川が
龍のように暴れたのでそれを
宥めるために龍穏寺が建立されたとの事

越生町訪問点描 

越生町パンフより



越生町訪問点描 


越生町パンフより

龍穏寺山門

経堂

経堂の外壁の木彫

道真・道灌の墓標


道真退隠の地の碑(梅畑の奥にあり、
この2m四方位だけが町の土地だそうです。




大山道道標と聞き、夢中で調べ始めたクルー









建康寺


     

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記②

   「権田直助没後125年企画展」展示点描

         (於:毛呂山町歴史民俗資料館)

                                      「資料、展示写真は毛呂山町歴史民俗資料館提供」

毛呂山町歴史民俗資料館
資料館入り口にて



展示室

権田直助肖像画
展示説明


伊勢原市関係展示場所(右端にKAZESAYAGE)

大山参道中村屋提供の神教歌譜

「権田直助の生涯」を掲載予定のKAZESAYAGE(風人社)も展示
文明開化に関する直助の書

新神殿造築前の阿夫利神社(貴重)


2012年11月14日水曜日

伊勢原ゆかりの「権田直助の生誕地」毛呂山町と            「太田道真退隠の地」越生町(おごせまち)訪問記①                                         

 平成24年9月8日(日)伊勢原郷土史研究会総会後の記念講演で、「権田直助の話」をいせはら歴史解説アドバイザーの西部・斉藤がさせていただきましたがこれは伊勢原の地では初めてのことでした。
 同じ頃、権田直助の生誕地、埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館では「権田直助没後125年企画展」準備の真っ最中でした。これも、毛呂山町では初めての企画で、直助の生涯に関しては様々な危惧のある中、淡々と権田直助の生涯を展示しようと努力を重ねていました。
 この両市町の有志たちは相互に連絡を取り合い、展示物なども工夫を重ね、終焉の地、伊勢原に残された資料なども展示されることになっていました。
 このことを受け、最初に西部氏が、「見学にゆかなくちゃ!隣町の越生町には、太田道真ゆかりの龍穏寺もあるよ!」とつぶやいたのがきっかけとなり、ISEHARA・おもてなし隊が計画し、いせはら歴史解説アドバイザー四人が集結、、二つの伊勢原ゆかりの町を訪問することになりました。
 その計画書は次のとおり。


  伊勢原市ゆかりの権田直助の生誕地及び
         太田道眞の墓所訪問ツアー企画書

1、趣旨
  現在、「ISEHARA・おもてなし隊」の関心事である権田直助が、出生地の毛呂山町歴史民俗資料館で「権田直助没後125年企画展」(10月14日~11月19日)が開催されている。また、伊勢原市民にゆかりの太田道灌の父、道眞の墓所のある龍隠寺(越生町)と毛呂山町とは極めて近い場所にある。
  ついては、この機会を捕え、二つのゆかりの地を訪問し、長年の念願を果たしたい。
2、主 催   ISEHARA・おもてなし隊
3、応 援   諏訪間伸氏(伊勢原市教育委員会文化財担当)
4、期 日   平成24年11月13日(火)
5、訪問地 ①毛呂山町歴史民俗資料館(担当者:佐藤春生氏)
      〒350-0432 埼玉県入間郡毛呂山町大字大類535
 
          TEL 049-295-8282
  訪問地 ② 越生町龍穏寺   
          埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452番地
案内と解説:越生町図書館長
(文化財兼図書館担当)石川久明氏
350-0416 埼玉県入間郡越生町越生925-1
  TEL 049-292-6116
6、参加者
   宮崎武雄(大山道の保存、研究者・NPO雨岳文庫理事)移送担当 
   齊藤勢吾(ISEHARA・おもてなし隊代表)企画推進担当
   西部周子(伊勢原市観光ボランティア)会計担当    
   渡部満男(伊勢原郷土史研究会々長)広報担当
         (以上四名共、いせはら歴史解説アドバイザー)
7、移送   自家用車(提供:大山参道・中村屋)


8、日程   平成24年11月13日(火)
       6:00 伊勢原市岡崎 西部邸前出発   
               距離:149km時間:約3時間(一般道路優先)>
<コース①伊勢原市⇒八王子市⇒昭島市⇒福生市⇒飯能市
               ⇒日高市⇒毛呂山町>
10:00 毛呂山町歴史民俗館着(見学1時間)
12:30 昼食
      (毛呂山町から越生町まで車で20分位)
14:00 越生町龍隠寺着(見学1時間)
15:30 龍隠寺出発
22:00 伊勢原市岡崎 西部邸着
(時間配分はあくまでも、予定。


2012年11月5日月曜日

竹園小学校、地域への「学校だより」で「縄文土器作り」を報告

 平成24年11月4日(日)自治会の回覧版で、回覧用「竹小地域だより」が回って来た。
 その中に、「土器作り」とのタイトルの最初の記事が飛び込んできた。竹園小学校が教育委員会文化財課とタッグで取り組んでいる「縄文土器作り」の報告である。いせはら歴史解説アドバイザーとして、今年は「土器焼き」だけの参加だったがとても有意義な一日であったので、この報告は嬉しかった。
 来年度はぜひ、1学期の「土器作り」から、参加し、指導のお手伝いをしたい。



 

2012年11月3日土曜日

指揮者を迎え、「第九」のレッスン!

 11月1日(木)はベートーベン交響曲第九番「合唱付」を演奏する「テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ」の指揮者、田中一嘉氏を迎え、初めての合唱の指導を受けた。
 合唱指導は木下朝滋氏が初心者からの歌の指導をされたいるが、今日は一応歌うと言う歌唱はクリアし、その上の指導と云う事になるので、今までとは一味違ったレッスンとなった。
 先ず、声の出し方から入り、一寸した音程のはずれも見逃さない。今までは、ただ覚えればよかったがそうは行かなかった。指揮者の音程が自分の気に入るまで何回もレッスンが続く。何となく、プロの歌手になったような気分になった。私にはそれほど高い指導内容でした。
 木下先生は、まだ暗譜していない私の後ろに立って下さって、一緒に歌ってくれたので、当日まで何とか歌えるような気分になって、豊かな気持ちで帰宅した。