2013年5月25日土曜日

東日本大震災復興支援で、2回目の気仙沼・大島訪問 <その1・大島;明海荘へ>

 5月22日(水)~24日(金)、3日間かけて、2回目の気仙沼・大島訪問に行ってきました。        
 クルーは仮設住宅の高齢者孤独死防止活動で、大島と深い関係を持つようになった元教員のM女史がリーダーで、伊勢原ライオンズクラブのAさんが配車と運転担当、私は付き人のような関係の3名です。

気仙沼港。高い建物は女子高。
津波は女子高の床下辺りまで来たらしい。
目的は、昨年植樹した桜や花壇への植栽、さらに、大島の島民の絆を深めるイベントの開催に関する提言・助言などが中心です。
 前回と同じ様に、気仙沼についたのが朝、6時ころ。気仙沼はあまり変わっていなかったが道路は嵩上げされており、少しは動いているように見えた。7時のフェリーで大島へ。大島の港もあまり変わっていないが船の数は増えていて、活気が戻ってきたように見えた。
 島の復興活動の拠点になっている「明海荘」へ。朝食をとり、花植え。雉が「ケーン」と鳴いて、私たちを応援してくれた。花植え終了後は入浴と睡眠。身体が未だ車中のように、浮いている感じがするが何とか眠る。

分かりにくいが昨年植えた水仙が咲き終わり、グラジオラスが芽を出している。
花壇
大島の漁港も船やトラックが多くなっていた
夕食は6時ころ。女将さんの「かよさん」が付き合ってくれた。夕食後、イベントに参加してくれそうな仲間を呼んでいること、自分の娘さんが名古屋の桜ヶ丘高校に進学し、ゴールデンウィークに担任の先生が家庭訪問に来てくれたこと、その娘さんの作文が新聞に載ったことなど、明るい声で話してくれた。娘さんが遠い桜ヶ丘高校に希望して進学したのは、震災後、桜ヶ丘高校の生徒さんがやってきて、復興を手伝ってくれる姿を見て、娘さん自身が決めてのだと言う。驚いたのはご両親らしい。それまでは、部屋に閉じこもり気味だった娘さんがしっかり世間を見ている姿に感動したという。地元新聞に掲載された娘さんの作文もコピーしてくれた。中3には見えないしっかりした文章で皆、驚いた。

「明海荘HPアドレス」 http://www.k-macs.ne.jp/~akemiso/



明海荘の娘さんの新聞掲載作文。全文ではないが一端は伺えます。













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