2013年12月22日日曜日

From権太坂・大山&富士山のコラボ&ランドマーク   作助ウォーク下見の下見

 12月22日(日)、第Ⅴ回の「作助ウォーク」下見に行って来ました。道を間違えたり、迷ったりと大変な思いをしましたが所期の目的は達成することができた。
 今日、心を打たれたのは、当初予定に入っていなかったが権太坂途中の駐車場から眺めた左右の景色であった。冬至の日の晴れというお日柄にも恵まれたことに感謝した。
 来年1月25日(土)の本番も天気になって、もう一度参加者と一緒に、感嘆の声を上げたい!!
保土ヶ谷に向かって左側に見える大山と富士のコラボ

右側にランドマークタワー

2013年12月20日金曜日

気仙沼・大島復興支援報告①  募金報告と大島だより

 今日(2013/12/20)夕刻、大島復興支援絵はがきの募金箱を設置して頂いている伊勢原駅南口駅前の(有)アサクラ様より、今日までの募金を届けて頂きました。
  お不動さんの絵はがきと言う事で、快く受け入れてくださるそうです。人気は高い!!嬉しい!!
 朝倉氏は大島復興支援の仲間ですが、伊勢原ライオンズクラブの会員でもあられるので、年の瀬の、何かとご多用中の所を、態々ご来宅頂き、恐縮しています。
 また、この復興支援活動のリーダーである、日本園芸療法協会員の飯田氏から伝言のあった「復興支援カレンダー」と大島の復興支援の拠点となっている「明海荘」の女主人、かよさんの新聞記事も届けてくださいました。
 飯田さんにもブログで失礼ですが、厚く、お礼を申し上げます。
  このカレンダーは、気仙沼の「おもてなし」を考える女性の会「気仙沼つばき会」が気仙沼の基幹産業である漁業を盛り上げるため制作したものです。
 以下、写真でご報告します。
 詳しい内容は、HP「ISEHARA・おもてなし隊の連絡帳」でご覧ください。

   「復興支援募金中」(☚クリックして下さい)

三陸新報(2013.11・25)「明海荘」かよさんの記事です。

「相州大山今昔史跡めぐり」宮崎武雄著(風人社刊)    明日(12月21日)発売                   ☛伊勢原とうきゅう内文教堂&伊勢原市市観光案内所

 昨日、大山古道・イヨリ峠越えの探索ウォークのガイドをしてくださった宮崎武雄さん(大山参道食堂「中村屋」さんのご隠居さん)の著書「相州大山今昔史跡めぐり」が明日発売されます。
 詳しくは、今日の「伊勢原タイム」を見てください。
 なお、発刊元の「風人社」は街道歩きの地図等を発刊しており、「大山道」関係の地図等も多く手がけられている出版社で、伊勢原の郷土史関係者の間では、お馴染みの出版社です。

2013年12月19日木曜日

「大山古道(イヨリ峠越え)」ウォーク実施報告        地元住民「宮崎さんのガイドで・・・」

 平成25(2013)年12月18日(水)、午後から雨降りの天気予報の中、「ISEHARA・おもてなし隊」の一行は、大山のガイド書を著されている地元の宮崎武雄さんのご案内で、「大山古道(イヨリ峠越え)」を実施しました。
紅葉も最高(庄司さん撮影)
前回の「大山山頂登山」は雨のため中止になっているので、今回も雨の予報となり、「また、ダメか?!」とがっかりしていましたが、雨は、予報とおり、正午まで降らず、全行程終了しました。
詳しくは、「ISEHARA・おもてなし隊の連絡帳」を見てください。

  (クリックして下さい) 

http://www3.hp-ez.com/hp/magoemu/page30


以下、HPに記せなかったスナップ写真を掲載します。
今日一番の写真です。(庄司さん撮影)

さあ!出かけるぞ!


記念撮影(出発地点社務局前)

山道右下の川の中に張られた
アルミ管は曾ては飲料水に
使っていた用水だそうです。


大山古道入り口(右、武田旅館)

大滝を越えると雨で抉れた道が続く


道の両側に伊勢原市のマークの杭

所々にこのような真新しい案内板

この辺り夏草が茂れば全く道が分からなくなりそう






















イヨリ峠で記念撮影(皆さん良い顔をしています!)

峠を越えると東京ccの6番ホールに行き当たった。
このホールは魔のホールで、カートの止まっている辺りで事故があり、
けが人も出ている。その後、改良された。
報告者は250ヤード飛ぶので、バーディーも可能であるが
実際は、右が怖くて、左に打ち込み過ぎ、OB2発の、やはり魔のホールである。

ゴルフ場越しに、秦野の街が見えてきた。





2013年12月9日月曜日

今が旬!!大山と富士のコラボ!!厚木から・・・・  「アドおおやまみち」の酒井さん撮影

        
            11月21日に長瀞の舩下りに行きました。
         東名・圏央道の厚木PAの手前でバスの中から映した大山です。                      左に白く見えるのは富士山です。
 酒井さん、ありがとうございました。久しぶりの「大山山影」で初心に還らせて頂きました。
 
 

 

2013年12月8日日曜日

二年目の「第九」大満足!!                   肺機能異常を乗り越えて・・・

 12月8日(日)は平成25年度、伊勢原市での「第九」演奏会の日でした。
前日のオケ合わせ(携帯で撮影)
昨年より、合唱団に所属し、3年計画で、「第九」をマスターする予定で、気楽にオーケストラとの共演を楽しんでいた。今年は2年目で、暗譜も少しできたが、まだまだ不十分なので、一生懸命取り組もうとしたが、10月頃から、若い頃のタバコ害で、呼吸器系に異常をきたし、呼吸が十分できなくなった。
 従って、昨夜のオケ合わせ時は、風邪声で、今朝の発声練習時も声は出なかった。
しかし、オケ合わせ時の指揮者の方のご指導に、なぜか感動し、「歌えそうだと言う」自己の世界のみにすっぽりと入り込んでしまったようだ。本番前まで、脳裏には「第九」のメロディーしか浮かばない。リラックスのために言った仲間の冗談さえ通じない。もう、独りよがりの世界である。
合唱団入場(撮影:細君)
本番が始まると、この、まだ40歳と言う若い、松下京介さんと言う指揮者の指揮棒に引き込まれるように、心や感情が高ぶり、オーケストラの一員となった。
第4楽章に入り、指揮棒に励まされるように歌い始めると、うろ覚えだった歌詞やメロディーが、最高のテナーの音量で飛び出してくる。ソプラノに乗っかったメロディーも心地よく、身震いするほどの感動が湧きあがってきた。
 終わってみれば、10回を越えるであろうステージで、今までの最高の出来であった。独唱もしたことがあったが、兎に角、ソプラノとの掛け合いは興奮する。
帰りに、ソプラノの西部さんと会い、お互いの健闘をたたえながら、「来年も出よう!!」と言う事で、女史との出会いにも感謝しながら帰宅した。
 パソコンに電源を入れると、宮崎さんから、嬉しいお褒めの言葉と写真がメールで送信されていた。
  また、市内、石田にお住いの方のブログ「さだきよピアノ教室」トピックス 12月9日の記事を拝読し、「来年も出よう!」と独り、心に決めた。
 
http://www.kawai.co.jp/pnet/592684/topics/38668/(クリック)


今年の歌声は、後日、ネット配信されます。

  これは昨年、初めて参加した時の「第九」のYOU TUBE 配信です。(クリックして下さい。)

宮崎氏撮影

宮崎氏撮影


 
     
解団式で挨拶される指揮者、
松下京介氏

2013年12月3日火曜日

応援します!伊勢原市 「景観条例制定」         12月の定例市議会で提案

 11月最後のタウンニュースで、標記「景観条例」の記事を拝見。以前から、伊勢原市は景観について、何かを発信していると薄々感じていたが「条例制定」までは思い至らなかった。しかし、この記事では、「景観条例制定」が現実となるようなので、移り住んだ40年前からの、馬渡の景観に関する思いの実現に一歩近づいた感じがして、とても嬉しい。
 タウンニュースの記事と2年前応募した「いせはら景観フォトメッセージ展」の「拘りの写真2枚」を掲載します。
 要は、岡崎から大句に至る岡崎城跡、特に「野陣」一帯を公園化し、少しでも、現在のままの姿を残したいと思っていると言う事です。


  ここは岡崎5560番地にある、かつて岡崎義実の家老であったと言われている森氏宅の東側道路です。
 40年前、岡崎の天神下に転居して以来、犬の散歩などでこの細い、木陰一杯の坂道を通っていました。若葉、木陰、落ち葉、大小様々な木株、笹竹等と出合うたびに、生まれ故郷の置賜盆地を思い起こし、妙に癒され、心を和まされてきた、大好きな坂道でした。
「その内、この坂道は消えるだろうな!他人の土地だが何とか残したいなあ!!」と嘆息を繰り返していました。その度に、「市民の方々にクローズアップしたいなあ!!」と思いつつ、その機会に恵まれませんでした。
 あれから35年、今回、やっとその機会に恵まれ、大急ぎで撮影し、応募しました。
 「ああ、やっと、この坂道の事を人に話す事ができた!!」と今、云うだけでも心が満たされ、とても興奮しています。この企画に「ありがとう!!」と云いたい。


撮影場所は岡崎の5000番代、かつて岡崎城の野陣台であった丘の上です。戦乱の時代、城主、岡崎義実はここからどんな気持ちで「大山」を眺めてであろうか!?
この丘に登るには「みのり幼稚園」近くの我が家の門前から続いている畑の中の坂道を100メートル程登ればすぐです。大句の子どもたちの通学路にもなっています。
我が家の2階から眺めると、野陣台に続くこの坂道は、56年前、香港で撮影された名画「募情」を思い起こさせるほど詩情豊かに登って行く事ができます。
この野陣台については知ったのは、文化財課主幹の「伊勢原歴史解説アドバイザー」養成講座の終了時です。それからこの台地が愛おしくなってきました。
過去、この地を通りぬけて大きな道路建設が計画されたと聞いています。宅地化より道路の方がまだ良いと思っていました。少なくとも、宅地より広い空間が確保でき、大山の眺めもこの写真に近いように残ると思われるからです。
風景をそのまま残すのは難しいが、かつての風景をできるだけ残そうとする努力する姿は市民の方々の賛同と支持を受ける筈です。