2014年12月30日火曜日

この1年間を振り返って・・・!              隊員の皆さんへ!! 感謝!!! 


今年(平成26年)は、春の「相模岡崎城跡探索ウォーク」から始まり、夏の「大山灯籠行事の調査研究」や秋のサポセンフェスタ時の展示まで、精力的に取り組むことができ、また、新しい仲間の加入、さらに「大山灯籠行事調査」に関しては、産能大との提携など、将来の活動に明るい兆しも感じられる一年でした。
特に、私にとっては、この1年、いかなる時でも、一緒に頑張って下さった仲間との絆が感じられ、これからの老いの生き様の励みになりました。今年も、希望を持って、若い世代に活動を繋げながら、励んでゆきたいと思っています。

この心情を、次の「かいだん」と言う一篇の詩歌で皆さんにお伝えします。

この詩歌は、「I・おもてなし隊」会員の飯田美枝子氏(神奈川教育臨床研究会代表)の著された「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」と言う書籍の中の一編です。詩歌を書かれた方は体躯のがっちりした青年です。私も何度かお会いしましたが丁寧な言葉遣いで挨拶もきちんとされ、半日の講義にもきちんと対応される方です。

従って、この青年が社会生活への不適応症状でフェードアウトされた方とは思えませんでした。

しかし、彼はアスペルガー症候群と戦ってきた青年でした。

 アスペルガー症候群とは、知的には問題ないが、興味、関心やコミュニケーション、パーソナリティーに特異性があり、大人の集団になってから集団になじめず、うつ病や強迫性障害などに陥り、成人生活が無理になる場合が多く、「大人の集団不適応症候群」と呼ばれている症候群です。現実的には、「空気を読めない」、「考えが拘っている」「感情を表現できない」、「多動で落ち着きがない」等の症状があります。以前は、社会不適応人格として一蹴されて来たようですが最近ようやく症候群として医療や教育界で取り上げられるようになって来ました。

 知的には問題ないので、この青年も高等学校まではクリアできました。子どもの頃は上記の症状は「個性」として認められるので、卒業はできます。しかし、社会に出、プロとして他人と仕事をするとなるとそうは行きません。彼は、悩み続けて、飯田美枝子先生の元に駆けつけたようです。今は、落ち着いて、福祉関係の事業所で働いています。

 説明がくどくなりましたが上記の詩歌はそんな彼が書いた一編です。そして、この一篇に私の思いも重ねられているのです。

 「わたしは 十歩がおそいと思っていた。でも、おそくないよと言ってくれる人がいた。」

 この行の「階段の一歩」は私の「私の発する一言」と重なります。「歩くのがおそい☛発音不明瞭」と差し替えれば、そっくりです。そして、「おそくないよ!」とおっしゃって下さった方々が私にもたくさんおりました。

 伊勢原市文化会館大ホールで開催された男声合唱団「マイスタージンガー」の発表会舞台で「ソロ」を担当させてくださった先生や仲間、その発表会を、わざわざ、聴きに来て下さった舌ガン切除Ope執刀医、東海大学病院口腔外科のDr、作助ウォークで「ガイド」をさせてくださった主催者や仲間、私の話を聞いて下さる「社会福祉関係の方々」や議員さん、近所の方々、そして「ISEHARA・おもてなし隊」で陰になり日向になり支えてくださる隊員の方々です。

その方々のためにも、この詩歌のように、来年も「これからも じぶんのかいだんを 自分の歩数で歩いてゆきたい。」と思っています。

 皆さんも無理のない範囲で、一緒に歩いて下さい

 なお、書籍「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」はサポートセンターの書棚に、宮崎武雄氏の「相州大山」の書籍と一緒に、「貸し出し本」として、並べられています。また、国会図書館の書棚には既にならんでいますが、来年には、伊勢原市図書館の書棚にも並びます。一度、ページを開いて見てください。

 

 

 

2014年12月28日日曜日

「◯キ」を訪ねて澤田美喜記念館へ                       大山・茶湯寺・地蔵様の光背に彫られた刻印を探る          昼食は国登録有形文化財「大磯迎賓館」


舟形光背に「◯キ」と刻まれている。
 年末の何かと慌ただしい中、宮崎武雄氏、執念の茶湯寺(ちゃとうでら)の「◯キ」地蔵(写真参照)の謎解きのヒントを探しに、歴史解説アドバイザー(「ISEHARA・おもてなし隊」とアドおおやまみち」合同チーム:男女4名)のクルーで、大磯駅前にある澤田美喜記念館(隠れキリシタン資料館)に行ってみた。
 
         
この記念館は、三菱財閥の子女として出生した澤田美喜が戦後、混血孤児救済の為に建設したエリザベスサンダースホームの敷地内にあります。美喜は岩崎家の別荘があったこの地、大磯でキリスト教と出会い、信者となり、キリスト教信者の弾圧から逃れて、信仰を貫いてきた「隠れキリシタン」の信仰の証を現在に伝えようと私財を投じて、全国から「隠れキリシタン」の仕掛けを持った「祈りの形(像)」を収集し、展示しているのものです。
 





 
館内には、「隠れキリシタン」が信仰を貫くために工夫した像や生活道具などが展示されていて、帰る頃には、仏教徒である我を忘れて、己が迫害を受けているような錯覚さえ感じた。最後に、行ってみた礼拝堂には、祈りたいと言う敬虔ささえ生まれそうであった。写真を参照してください。















 

 私は、現役の頃、サンダースホームの子ども達とお付き合いがあったが担任ではなかったので、訪れる機会がなく、「何時かは・・・!?」と思っていたので一際感情を高ぶらせて、拝見させて頂いた。
地蔵尊の刻印
しかし、「◯キ」に結びつく展示物やお話を発見することができなかった。参観途中、宮崎氏はご案内頂いた館員の方に例の地蔵尊の写真を見て頂き、助言を求めたが首を傾げるだけであった。ただ、ここにも、ネット情報以上のヒントは無い解くことだけ知ることができたのは収穫であった。
 
係員が食材を説明しながら取り分けてくれた
昼食は年末と言う事もあり、大磯で商売をして大儲けした商人の別荘「大磯迎賓館」(国登録有形文化財)で取ることにしたファミレスと違った雰囲気で、一寸戸惑ったが高齢の図々しさで、セット料理とビールで大喋りをさせて頂いた。料金もそうだが無礼も含めて、「贅沢な時間」を過ごさせて頂いた。

 
昼食時話題になったのは、ヨーロッパの宗教革命を境にしたキリスト教の伝播状況や「◯キ」のキはキリシタンのキなのか、日本の歴史でカタカナは現実の生活の中でどの程度使われていたのだろいうか、などと留めのない話で終始した。
その中で私が主張したのは、「舟形光背の中央の刻字は、通常、梵字など刻まれているので、も祈りの対象として刻まれていることは間違いないと思う。ただ、江戸期、「キ」というカタカナを庶民が使っていただろうか。ましてや、「キリシタン」を「キ」で表現したであろうか。隠して刻んでいたのは、「十字架」が殆どである。それを考えると、キリスト教を離れて、土地の産業や民衆の職業、講の神様や歳神様の象形として見る方も忘れてはならないような気がする。
 ネット情報であるが座間市に「キヌバリサマ」と片仮名で刻まれた馬頭観音碑があるそうだ。聞いたことが無い神様だが養蚕の神様「オシラサマ」と同じようだ。一般化していない、一部の地域民で祀られている、このような歳神様や大山土着の神様がいるかもしれない。
 この町に移り住んだ自分には見当もつかないが・・・。
また、この地蔵さんは大山地域内で移動されているらしいので、遠い地域の崇拝仏を考えなくとも良いので、もう少し、地域を広げて調査を続けて行きたい。

 再度、Yahooの「知恵袋」に投稿し、多くの意見を集めてみました。URLは次のとおり。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140030858

 
 帰り際、別室に展示されている大磯「左義長」の写真展を拝見し、「ISEHARA・おもてなし隊」が来年から取り組み始める「伊勢原のどんど焼き」現況調査に弾みを与えて頂いた。
 

2014年12月24日水曜日

下平間の庚申塔(道標)に説明板設置                        折れた石柱の掘り上げと接着作業は大成功 思わぬ三猿像の出現に感動!

 本日(平成26年12月23日)、雨天順延であった標記、下平間大原の畑地にある庚申塔(石柱の道標)への説明板設置作業を実施。急な日時設定だったが田中氏、宮崎氏、川上氏、西部氏、飯島氏、斉藤の6人が集合。
レスキュー三脚とチェーンブロックで道標を釣り上げる作業中

作業は折れた石柱の下部(長さ 112cm、各辺19cm)の堀り上げから取り掛かったが石柱は思ったより深く沈み込んでおり、人力では不可。急遽、川上・斉藤で川上邸に打ち戻り、レスキュー三脚とチェーンブロック等、(お犬様に吠えられながら)詰め込みとんぼ返り(重かった!!)。同時に、「この種の工事には、酒と塩で、お祓いをせよ!」との通りががりの土地の方の助言により、川上氏は奥方に頼んで「酒と塩」を用意して持参。
大山と富士山をバックに記念撮影

その後は、最高齢の田中氏まで加わり、力を合わせて、土中の石柱を釣り上げ、大歓声。

そして、土中の石柱の長さに合わせて埋め戻すのだが堀穴の中が柔らかすぎるので、堅い石片が必要と判断され、これまた、今度は、飯島・宮崎で飯島邸に打ち戻り、洗濯竿支柱の使う土台石を運び込んだ。その間、接着剤で張り付けると言うので「折れた石柱面」の両面を水で清掃。
左 や者多(やはた・赤字)道

それからは、「ビオトープ活動」で河川工事経験者の飯島氏の手順と田中氏の計測情報に従い、土中への60cm埋め込みに成功。そこには、隠れていた「道・塔」の文字などがはっきりしたがその下の「三猿」の彫り物には誰も気づいていなかった。気づいたのは西部氏。大急ぎで水洗いすると文字の刻んである三面に、それぞれ顔に手を当てたと思われる猿の絵が見えた。これには、皆、感動!!この活動の喜びと、「老いがい(甲斐)」を実感した。
右 かなひ(赤字)道
再び、チェーンブロックを使って、上部の石柱(長さ62cm。各辺19cm)を持ち上げ、接着作業。石材接着の経験のないメンバーは、「本当に付くの?」と疑いの姿勢。しかし、「結果をご覧じろ!」と石柱の4角に鉄棒を差しこみグルグルと針金で石柱を固定し、作業終了。
 立て 看板も支柱をしっかりと打ち込み、設置。石柱の刻字も赤字に塗ったので、目立つことこの上なし。





これで、通りがかりの方々も気が付いて、注意してみてくれるであろうとニコニコ顔で帰路の途についた。

泥を洗い流したら出てきた「聞かざる(猿)」
しかし、この庚申塔(道標)の位置はおかしい。そこには何処の石造物にもある設置場所の移動があったと思われる。その事情とは道路や住宅建設等で、移動されたと言う事情である。
そこで、この庚申塔はもともと江戸期はどこに設置されたのか?見当がつかなかったが西部氏の説明で理解できた。
地図を参照されたい。
なお、下の地図に関して、西部氏自身の今昔が分る説明文を頂きましたので、追加します。

<道について・・・・写真説明文字の「桜台小学校」は原の宿(関蓮道標がある)へ向かっている道で、原の宿、竜神通と続く「田村通大山道」に合流する道です。

 「馬渡方面」とあるのは岡崎村(大句信号下道標。年代は合わないが道はこの道でしょう)から大畑橋経由の金目観音道。「やわた」は大島の十輪寺、下島の霊山寺(関連道標あり)を通り、いわゆるパイロット通りに出る道と思っています。>


2014年12月22日月曜日

「子ども科学館支援会員(ボランティア)養成講座」の       受講生募集中                        伊勢原市立子ども科学館

 本日(平成26年12月22日)「まが玉づくりの会」の役員会がサポートセンターでありました。
 その席上、今年実施した子ども科学館の「まが玉づくり」の件が話題になりました。
 子ども科学館では、標記「支援員(ボランティア)」の養成講座受講生を募集しています。理科や科学が得意でなくとも、子ども達と遊ぶことが好きな大人なら、受講資格十分と聞かされ、私も受講することにしました。
 募集人数に、まだ余裕があるようですので、皆さんも一緒に参加しませんか!!
 
























 

 また、子ども科学館では来年のゴールデンウィーク時、「まが玉づくり」の講座を開設するようです。
 また、3月7日(土)も「古代の技術に挑戦しよう!」というイベントで、「まが玉をつくろう」講座をやるようです。
 私は来年の予定表に記入し、頑張るつもりです。
 

2014年12月21日日曜日

茶湯寺の地蔵尊の舟形光背の刻字の「謎」を教えて・・・?

 本日(平成26年12月21日)、「アドおおやまみち」の宮崎武雄氏より、次のようなメールが届きました。

 天気も良く、大山へ行ってきました。
 例の大山茶湯寺の「切支丹地蔵」と思われる地蔵の写真を撮ってきました。
 どうも文字は年号なのか、仏教用語なのか見当がつきません。
 写真は良く写ってます。これをブログで流して、全国からご意見を伺って真相を知りたいと思っています。
 頭上の字ははどうもキではなくギのような気がします。


ついては皆さんも真剣に調べて、ご回答をお願いします。

これに対する情報として、次のHPがあります。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/retu27.htm
 (1月4日の記載を見て下さい。)
http://blogs.yahoo.co.jp/tenchishizen/14009257.html
 (背中に十字架の刻印です。)
http://blog.livedoor.jp/daddy101s/tag/%E9%A6%96%E5%9C%B0%E8%94%B5
 (本件に似た事例です。)


次いで、このブログからだけでは、解決困難と見て、YAHOOの「知恵袋」に投稿しました。
URLは次のとおり。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12139692317
(回答期限は締め切られました。)
<回答が1件入っています。是非、ご覧になり、コメントをください。>

以上、よろしくお願いいたします。
  

2014年12月20日土曜日

さいたま市から「大山眺望写真」着信                       提供:毛呂山支部:町田美雄氏

 今年から「I・おもてなし隊」の会員になって頂いた埼玉県毛呂山町で設計事務所を経営されている町田美雄さんから、また、大山眺望写真を送っていただきました。
 1級建築士さんであると言うお仕事柄、埼玉県内から東京都にかけて、お忙しく移動されている間に、大山や富士山を眺められ、撮影もされておられるとのこと。
 また、出生地毛呂山町の郷土史にも深い造詣があられ、毛呂山町伝統の「流鏑馬」に関する伝統者として活躍されています。来年の「ISEHARA・おもてなし隊」の活動計画に。「町田義雄氏解説による「毛呂山町出雲伊波比神社の流鏑馬」見学ツアーが組み込まれています。
 興味のおありの方は「saiseigo2@yahoo.co.jp 斉藤」までご連絡ください。開催は11月です。 
 (町田さんへ・・・その節は、よろしくお願いいたします。)
なお、毛呂山町歴史民俗資料館作成の「動画で見る流鏑馬」動画のアドレスは次のとおりです。http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1286266706797/index.html
 

 以下、今回のメール送付文と写真です。
 なお、この写真は、現在勤めさせて頂いている「馬渡自治会25組」の正月の回覧板の表紙に飾らせて頂きます。
 また、この写真により、「大山灯籠行事調査研究」に没頭した今年の活動から、少し解放され、「大山眺望写真収集」から始まった「ISEHARA・おもてなし隊」活動の初心に戻れそうな気がしてきました。町田さんに感謝します。



斉藤勢吾 様
 お世話になります。仕事帰り車から富士山が良く見えたのでさいたま市下大久保付近の荒川土手から撮りました。
  <写真1>夕方でしたので大山から富士山のシルエットになりました。
                  
 <写真2>大山ですが拡大すると頂上のアンテナ群が確認できます。
  お散歩中の方に大山であることを確認いたしました。この方は荒川から見える山は全て登ったと見える山々の名前を説明していただきました。
  <写真3>富士山の右側に太陽が沈んでいきました。
  また、よろしくお願いいたします。
                         毛呂山町 町田美雄


写真1。左端:大山。右の高い山:富士山。

写真2


写真3

2014年12月14日日曜日

「感謝祭」開催!!                        「さくらの家福祉農園」

 平成26年12月6日(土)、馬渡のにある社会福祉法人「さくらの家福祉農園」で「感謝祭」が開かれました。例年は、11月に「収穫祭」として、作物の皆さんに紹介したり、お分けしたりしていましたが、今年は、大雪や台風被害で、農園が荒らされ、その整備で10月まで、苦労させられました。

会場入り口(まだ時間が早い!!)
 ついては、今年は例年のようなお楽しみセレモニーはありませんがその他の、バザーや餅つき、焼き芋、ハーブティーなどのブースを設置し、地域の方々の方々をお待ちしました。
 
 




利用者が作成した信楽の植木鉢(800円)

サクラソウ(一鉢50円)説明を追加


ブルーベリージャム(760円)

2014年12月9日火曜日

伊勢原の「第九」歌い切りました。                        12月7日(日)伊勢原文化会館大ホール              沢山の市民の方々にお出で頂きました。

 伊勢原では、4回目の「第9」演奏会。
2時開演ですが1時には行列が・・・
 今年は、星出豊氏と言う大御所の指揮者をお招きし、会場一杯の聴衆の方々の前で、オーケストラも、ソリストも、「第九合唱団」も、一つになって歌い上げました。
 今年の合唱団は103名と言う大所帯。中学生の2名加わり、各パートにも若い世代が参加。一段と盛り上がった「第九」演奏会となりました。

解団式の様子。星出氏(左から2人目)とソリストの方々
 ビデオはまだ届いていませんので一昨年の歌が「YOUTUBE」にUPされていましたので、掲載します。


平成24(2012)年の「第九」の様子
 https://www.youtube.com/watch?v=E5jWsQCZh-k

2014年12月6日土曜日

「第九」オケ合わせ☛明日、本番     

 12月7日(日)はベートーベン交響曲第九番「合唱付」の本番。前日の午後4時から一時間、オーケストラとの音合わせがあった。通称「オケ合わせ」と言うらしい。
 今年で3年目だが、普段ピアノで練習しているのでオーケストラではやはりまごついてしまう。歌い始めが捕まえられずに、出待ち(誰かが歌うのを待って

明日の打ち合わせシーン(中央が指揮者の星出豊氏)
歌う)が多い。出てしまえば、歌詞は分かるので、気分よく声が出る。しかし、出待ちを失くすのは難しい。

 もう一つは、早出(例えば、3拍の所を2拍で出てしまう)が今日もあった。今日は、オケがあったので目立たなかったが指揮者はきっと気が付いているに違いない。
 「早出」と「出待ち」は表裏なので、普段オーケストラで聞いていれば、分かってくるだろうと思う。
 取りあえず、明日は上手く切り抜けたい。

2014年12月4日木曜日

「第15回歴アドコンペ」無事終了                      優勝は渡部氏                          新会員に佐藤氏を迎える

 平成26年12月4日(木)、いつもの東京ccで、第15回歴アドコンペ。この日を設定したのは雨男のSS氏。スタート時は好天気だったが昼頃より小雨。「やっぱり!!」と思った参加者も多いことでしょう。
南コース1番スタートホール
 しかし、雨は小雨。スコアメイクの敵は「雨」よりも「風」。
 午前中はこの風により、スコアを崩す参加者が続出。しかし、この風に打ち勝った方が優勝された。
 優勝賞金は図書券(500円券)2枚。参加賞は95円のチョコレート。次回幹事のBB賞は図書券1枚。
優勝カップを掲げる渡部氏
 会費節減で、表彰式の茶菓は無し。
 しかし、和気あいあいとした、笑い声の絶えないコンペでした。
表彰式風景
 今回参加されなかった会員の方々も、身体の調子を取り戻し、ご都合をつけてご参加をください。
 参加者一同、楽しみに待っています。
 次回幹事は渡部氏と佐藤氏。よろしくお願いいたします。



2014年12月3日水曜日

障害のあるお子さんを育てられているお母さん方へ                 皆さんのための本が出版されました!!

 平成26(2014)年10月18日、本ブログで紹介いたしました「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」が、タウンニュース(秦野版)で紹介されました。
 この本は、「ISEHARA・おもてなし隊」の会員であり、「神奈川教育臨床研究会」代表(事務局:国際医療福祉大学小田原保健医学部内)でもある飯田美枝子さんが、教員の現役時代から取り組んで来られた「お母さんたちの実践と指導の報告」です。
 「タウンニュース」社の紹介で、書店にも注文が入ったり、友人知人、関係したお母さんたちが「売り」に廻っていただいているので、販売の方は好調のようです。

 「こう言う本を待っていた!!」とおっしゃって下さったお母さんもいたそうですので、今後、このお母さんを中心にして、勉強会を始めようと思っていますと言うコメントも頂きました。

 すでに、国立国会図書館にも置かれています。
 伊勢原市立図書館とSSCの活動拠点「伊勢原市民活動サポートセンター」にも、新年までには置きたいと思っています。

 読者層には違いがありますが「I・おもてなし隊」が何かとお世話になった東京・世田谷にある「風人社」さんのネットマガジン「風人社の窓」でも取り上げて頂きました。

http://www.fujinsha.co.jp/hontoni/2014/11/27/book_shougai/(クリック)




なお、この書籍は次のネットショップでも購入できます。

①セブンネットショッピング
http://www.7netshopping.jp/books/search_result/-/publisher/%E5%A4%A7%E6%8F%9A%E7%A4%BE

 ②ローソンネットショッピング「ロッピー」
http://www.hmv.co.jp/artist_%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%BE%8E%E6%9E%9D%E5%AD%90_200000001083779/item_%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%81%8A%E6%AF%8D%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%9F%E3%81%A1_6080392

③ヨドバシ.com
http://www.yodobashi.com/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%81%8A%E6%AF%8D%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC/pd/100000009002212857/
 

2014年11月29日土曜日

この歌を贈ります!!!                         今日、このブログを開いてくださった方に・・・!!!

題名「広い河の岸辺」~The Water Is Wide~
歌唱「クミコ」


2014年7月23日発売

TV小説『花子とアン』の挿入歌としても歌われているスコットランド民謡

訳詩:八木倫明(ケーナ奏者)/原曲:スコットランド民謡 

動画youtube「広い河の岸辺」
https://www.youtube.com/watch?v=dLZ2dGrLm-w


☛(英語版) 
https://www.youtube.com/watch?v=en0BDTzgIy8&list=PLXpe6saUW2YbI7-QAl2CuS4DaeLa6VsDM&index=5



詞曲
訳詞
スコットランド民謡
八木 倫明

The Water is wide, I can't cross over.
And neither have I wings to fly.
Give me a boat that can carry two.
And boat shall row, my love and I
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟があるならば
■漕ぎ出そう 二人で
Oh,love is gentle and love is kind.
The sweetes flower when first it's new.
But love grows old, and waxes cold
And fades away like morning dew.
愛の始まりは 美しく
優しく 花のよう
時の流れに 色あせて
■朝露と 消えて行く
There is a ship and she sail the sea
She's loaded deep as deep can be.
But not as deep as the love I'm in.
I know not how I sink or swim
二人の舟は 沈みかける
愛のおもさに 耐え切れず
沈み方も 泳ぎ方も
■知らない この私
The Water is wide, I can't cross over.
And neither have I wings to fly.
Give me a boat that can carry two.
And boat shall row, my love and I
河は広く 渡れない
飛んで行く 翼もない
もしも小舟があるならば
■漕ぎ出そう 二人で


◆歌詞と楽譜
☛ http://bunbun.boo.jp/okera/haho/hiroi_kawa.htm



八木倫明さん


https://www.youtube.com/watch?v=en0BDTzgIy8&list=PLXpe6saUW2YbI7-QAl2CuS4DaeLa6VsDM&index=5

2014年11月28日金曜日

良寛さんを訪ねて備中へ                         修行寺「圓通寺」とゆかりの「大通寺」へ                 平成26年「みろく会」


今年のみろく会は、関西勢の会員の方々のお世話により、関東勢10年来の念願であった「若き良寛さん(関西では良寛様)」の修行寺「備中・圓通寺とゆかりの寺院」を訪ねてきました。

世話人の柴口成浩氏は、最初の訪問寺である「大通寺」の方丈(住職)さんで、山陽道宿場町「矢掛」前観光協会長でもあったと言う事で、人脈、地脈を生かして、滅多に無いガイドをして頂きました。

矢掛本陣石井家
最初の訪問地は、NHK大河ドラマ「篤姫」の放送時、篤姫の宿泊記録を新発見し、篤姫の出府コースを変えたことで有名になった矢掛の本陣。東海道の本陣に関しては「作助ウォーク」で、ガイドしてきましたが、東海道の場合、その形跡はほとんど感じられませんでした。然し、山陽道矢掛宿の本陣跡はそのまま残されており、台所の「かまど」まで真っ黒のまま残されていました。これには、大感動でした。
 
山陽道には、幕末から明治期を通して、関心を呼びそうなポイントは一杯ありそうである。東海道も良いが山陽道も「売り」になるよと、風人社の編集長、小菅さんに伝えたい。


大通寺本殿
不空羂索観世音菩薩
高校の社会科教師であった成浩和尚の住持する「大通寺」は末寺五社をも
つ格が高い寺院でもある。創建は平安期と古いがこの寺院を有名にしていたものは江戸中期に作られた庭園である。師はこの庭園の研究の他、良寛様の研究でも有名である。良寛に関する最近の研究では近隣にある「洞松寺」の十四世東堂の遷化控帳に残された葬儀配役の中に良寛の名を発見し、圓通寺における若き良寛の修行の様子を紹介している。

(次のHP参照<クリック>

http://www2-m.hp-ez.com/maintenance?page=4&seach=seach&t=1418561795


 

 また、同寺に伝わる「不空羂索観世音菩薩」は平安期のものであり、今、国の重要文化財指定の申請中だそうである。(写真参照)


圓通寺本堂
良寛の修行寺「円通寺」はまだ茅葺の僧堂であった。第一日目は夕刻の、雨の訪問であったが翌日早朝の訪問では、やはり、茅葺の良寛堂や庭先の良寛像と合体して、山間の禅寺を、美しく映し出していた。

 






 
良寛像


角塔と書者大通寺和尚柴口氏
秋の圓通寺の庭先は落葉も多く、近隣の女性二名が落葉掃きをされていたので、記念撮影のシャッターを押していただくと同時に、方丈の仁保哲朗和尚も呼んできてくださり、親しくお話をすることもできた。


中央:圓通寺方丈:仁保哲明和尚
また、庭園中央の垣根近くの「角塔(記念祭等の際に建立する塔)」の文字は、書家でもある大通寺の方丈が請われて書いたものだ言う。(写真)

詳しくはみろく会のHPを見て欲しい。
URLは次のとおり。
http://www2.hp-ez.com/hp/saiseigo3/page10

「みろく会」のHP
http://www2.hp-ez.com/hp/saiseigo3/page9
(クリック)
 

 翌日、幹事さんの案内で訪れた倉敷美観街にある「大原美術館」でも、良い目の保養をさせて頂いた。
 大学生時、映画で見たモジリアニの作品があった。感動した。また、別館では、北魏時代の遺物を間近にし、目を凝らして、展示物に穴をあけてきた。
エル・グレコも「受胎告知」とモジリリアニの「肖像画」

倉敷美観地区水路
感動の連続であった。

 



イベントではありませんでした。


 若い頃から文字や写真で蓄積してきた知識が次第に実物の近づけるという夢のような老人生活に万歳を言わねばならないであろう。老後の「生きがい」を「老いがい」と言う新語もあるそうです。この旅は、私の「老いがい」を満足させてくれました。
 天上もこうあって欲しいがそうは行くまい。