2014年1月28日火曜日

「毛呂山町石尊山ウォーク」を今年も企画しています。       毛呂山町歴史民俗資料館からのお便り

 
 埼玉県毛呂山町にある「歴史民俗資料館」の学芸員、H・S氏より、標記の便りを頂きました。毛呂山町は権田直助の生誕地で、昨年私たちが訪問したことでH・S氏と知り合いました。                                        今年の年賀状には、次のようなコメントが書いてありました。
 「昨年は石尊山(毛呂山町中央部の低山)を登る歴史巡りを行いましたが今年は毛呂氏の展示と合わせて、再び石尊山に登る企画を考えております。石尊山入り口の不動堂に「2m近い木太刀」を三振、確認しました。」
 毛呂山町の文化遺産の目玉は「流鏑馬」ですが権田直助他、大山講組織などもあり、大山信仰と深くかかわっています。そんな中で、石尊信仰も広がり、大山の石尊社を勧請したのだと思います。
 石尊信仰は大山信仰の広がりとともに、関八州に広がり、関東各地に石尊社が勧請され、低い山に不動尊社などと共に祀られていたようです。
 HP「数ある石尊山と石尊信仰のひろまり」
 (http://www5f.biglobe.ne.jp/~sy-baba/hosokusekison.html )によれは、次のとおり、10社は下らないようです。
表1 石尊山一覧
No所在県所在市町村標高地形図名 特徴
茨城十王町・日立市387日立 
茨城大子町・栃木県黒羽町421大子 
栃木足利市486足利北部山頂に釈迦岩、梵天祭りが行われる。(『角川日本地名大事典 栃木県』より)
栃木鹿沼市594文挾 
栃木塩谷町481壬生 
群馬安中市・榛名町571三ノ倉北陸新幹線「安中榛名駅」の真上にある。梅林で有名な秋間丘陵の秀峰。(『野山を歩く100コース』より)
群馬月夜野町752後閑山腹に八束脛(やつかはぎ)洞窟遺跡(弥生時代の人骨など出土)あり、山頂に祠。(『野山を歩く100コース』より)
群馬中之条町1049中之条祠あり。 5月5日の山開きは、どんな悪天候でも行われるという「信仰」の山。(『群馬の山歩き130選』より)
埼玉小川町・東秩父村340安戸 
10千葉君津市・大多喜町348上総中野山頂に阿夫利の石祠があり、天狗信仰の対象になった。(『角川日本地名大事典 千葉県』より)
11山梨勝沼町532石和 
12長野軽井沢町1668浅間山付近には弥陀ヶ城岩、血の池、座禅窟などかつての信仰の名残りが見られる。(『群馬の山歩き130選』より)

 私もこの情報を得て、日立市などの石尊山を訪問する予定でしたが「東日本大震災」の被災地となり、今はどうなっているかわかりません。 しかし、今回の毛呂山町の情報により、HPの一覧表にも掲載されていない「石尊山」の所在が分りました。 
不動堂に安置された「太刀三振」は「納め太ち刀」を持ち帰り、納めたのだと思います。毛呂山町では、今年も「石尊山ウォーク」を企画するとの事ですので、仲間を募って、出かけてみたいと思っています。

 

2014年1月27日月曜日

文化財ウォーク「出府諸用控に見る江戸への旅」    地代官山口作助の歩いた道・第5回目無事終了      相模・武蔵国境を越え保土ヶ谷宿へ

 平成26年の正月も下旬を迎え、寒さも一段と強まった中、第5回表記、通称「作助ウォーク」は無事終了しました。

東戸塚駅第2班の出発前の打合せ
ビルの真ん中で準備体操
今回も、いつもと同じく、参加者14、5名の3班編成。
 東戸塚から品濃一里塚☛堺木地蔵☛戸川神社☛本金子屋敷(山口作助の定宿)☛金沢横町
☛問屋場跡☛保土ヶ谷駅解散
 で、若い頃職場に近かった堺木地蔵や金沢横町に見られた旧道の雰囲気が、昭和の懐かしさを感じさせられた。

品濃一里塚の案内板(県内に残る
唯一の一里塚)
これまでの文化財ウォークでは、通り過ぎた各市町の文化財に対する取り組みの様子がよく分かり、保護の取り組みや文化財表示についても伊勢原市を凌ぐ部分が多く、うらやましくも感じたがこれは各市町の事情によるもので、仕方ない部分もあろう。ただ、将来への標榜や目的もはっきりしないのが気になる。

焼き餅坂
そんな我が市、伊勢原市に参考になったのは、金沢横町で見た「助郷会議所跡」の表示板の工夫であった。それは「自動販売機」の壁面も含め、横に置かれた「空き缶入れ」を活用していた。
 この様に企業と提携した文化財の保護方法もこれからどんどん取り入れるべきではなかろうか。
 私の仲間や同志の間でも、企業との連携は話題にはなっているが具体的な事象には至っていない。市や大きな文化財団体などが口火を切ってほしい。

堺木地蔵
作助の旅に戻ろう。
 「安政6年(1859)年4月13日早朝、自宅(伊勢原市上粕屋)を出た地代官(名主)山口作助は、戸塚宿を経て、相模・武蔵国境を越え、保土ヶ谷に向かいます。その日の宿泊は、保土ヶ谷宿の旅籠屋「本金子屋」です。上粕屋から保土ヶ谷まで約38㎞で、一部籠を使っていますが、ほとんど歩いています」(チラシより)




堺木立場跡7
投げ込み塚











浮世絵を使って権太坂のガイド



2014年1月24日金曜日

「テッセン伊勢原」の接ぎ木講習会             ・・・タウンニュース紙の写真に、今度は細君が・・・

「テッセン伊勢原」の記事は、1昨年から、このブログで紹介してきました。
「テッセン伊勢原」については、その繁殖活動を続けれれている「伊勢原市みどりのまち振興財団」のHPによりますと、次のように書かれたあります。
ッセン伊勢原とは、市内岡崎(馬渡)の園芸農家 西部由太郎さんが、今から20年前にドイツ種類(紫)と在来種(白)交配して作り出したテッセン(クレマチスの一種)です。花の直径が20センチ前後と大きく早咲きがその特徴ですが、それは接木をして「病気に強く」「生育旺盛」な独特の育て方にあります。
「伊勢原市みどりのまち振興財団」では、実際に希望者が接ぎ木を体験し、一緒に育て楽しんでいただこうと平成21年1月に西部康男氏をお招きし初めての「接ぎ木講習会」を行いました。台木には野山に自生するセンニンソウ(千人草)を使います。台木に切れこみを入れ、テッセンを接ぐのは非常に細かい手作業ですが、新芽が出た喜びは格別のものがあります。接ぎ木したものは土の温度管理が難しいため(17°~18°)新芽が出るまで西部氏に管理をお願いしています

と記されております。
 

 
我が家に残る唯一のテッセン伊勢原
今年は我が家の庭でも咲いてほしい。
我が細君は、10年以上、「みどりのまち」の「花づくりボラティア」に所属し、この接ぎ木講習会も、最初から参加しています。しかし、この接ぎ木作業は繊細で、根気強い心が必要で、また、その成功率もきわめて低いものです。私も一昨年、参加しましたが10本接ぎ木し、1本も成功しませんでした。それ以降、参加していません。
 細君とそのお仲間たちは、余りに、成功率が低いので、講師の西部氏の指導で、春に「挿し木」をしたりしてみましたがこれも全滅でした。生き物のの品種改良とは、如何に難しいか?切実に感じたものでした。
 今年は上手くいってほしいと、細君の話を聞くたびに思っています。
 








実際の花の様子などわかりますので、「財団」のHPを二つ紹介します。

http://www.isehara-midori.net/pages/tesen01.htm

http://www.isehara-midori.net/pages/tesen03.htm




2014年1月21日火曜日

気仙沼大島復興支援③                    明海荘より現況状況のお便り,ありました。                        現在、 「大山道道標絵はがき」募金額は13220円です。                                

復興の拠点「明海荘」
 昨夜、「大山道道標絵はがき」の記事を(有)アサクラさんから知らされた気仙沼大島の「明海荘」さんからメールで便りがありました。今年から委ねられた大島名産柚子畑の管理や剪定のこと、そして、今、島で話題騒然となっている防波堤建設のこと等、忌憚のない情報を頂きました。                                     
 特に、ご支障もないようなので、メールをそのままお伝えします。
   
 
  ・・・・・・・・・
      
「明海荘」の女将さんと
大島の港。地面が落ち込んでいる。ここに防潮堤か?
 

 こんばんは、ゆっくりメール確認出来ずにおり、返信が遅れて申し訳ございません。
 柚子山管理のボランティアに関しまして、永年手入れが出来ずにいた場所で木も高すぎて、剪定もなかなか出来ていないところを、お手伝いが出来るか話し合いをしているところです。
 毎年、農協にも出荷していた経緯もございますので、管理方法やら、年間の予定やらを調べている段階です。後々は、柚子の加工品等も販売を考えておりますので、商品開発も平行して、少しずつ進めております。多くの方に携わっていただき、多くの意見を参考に進めたいと思います。
 
防潮堤に関しては、反対側です。まず、防潮堤よりも先にやることがあるのでは無いかと思いますし、100年先の事を考慮すると言っていますが、それまでの維持管理はどうするのか、費用を含めて再検討をすべきではないかと考えます。
 私は、津波が到達して、甚大な被害があった場所(危険区域)は、居住禁止とハッキリ言いきって、早急に高台へ新住宅地をつくるべきとおもいます。以前と同じとは行かないのは分かりますので、住民も行政側がハッキリ言えば納得するのではないでしょうか?

 そうすれば、海の側に、景色を遮る防潮堤はいらなくなるはずです。危険区域との境目あたりに1メートル位の高さで済むのでは・・・? 費用も大分軽減でき、別の所に役立てられると思います。
                                                   明海荘 
      ・・・・・
  なお、ここで、大山道道標絵はがき募金の中間報告をいたします。                

 現在13,220円ほど集まりっています。
 金額は少ないと思いますが応援する心ですので問題はありません。
 この募金額は、タウンニュース社のお蔭で、完売に近く、頂いた資金額をを上回り、所期の目的をほぼ達成しました。これからの募金のありと思いますが、これで、「みろく会」や「ISEHARA・おもてなし隊」の同志に良い報告ができました。


 従って、「絵はがき制作」はここで一応終了させて頂きます。
 関係して下さった方々や募金を下さった皆様方に厚くお礼申し上げます。

 後は、8月に大島に持参いたすばかりですが「明海荘」や大島の方々も、あまりあせらず、気楽に、「何時かはイベントをやれれば最高!」位の気持ちで、ゆっくり歩いてください。





2014年1月12日日曜日

’14新春「歴アドゴルフコンペ」                雪の残る中でも好天気で大成功!!           表彰式は合同新年会の「寿し弘」で

 年寄りに猛暑、猛寒は大禁物。命まで賭ける気はないが、そんな危うい中、「熊は冬眠中だよ!」と言いながらも、藤沢の熊さんは、防寒ズボンを買い求め、穴から這い出て参加してくれました。今回は「伊勢原郷土史研究会」の開催日と重なり、参加者は少なかったが元気は一杯!!
 グリーンはシートを掛けているのでやわらかかったが、日陰に残雪のあるコースはカチカチ。午前中は苦労をしたが午後はポカポカ陽気になり、「最高のゴルフ日和になった!」と皆、ニコニコ顔で、入浴。
 表彰式は、「歴アドゴルフクラブ」「ISEHARA・おもてなし隊」「われら歌好き」、3グループ合同の新年会で表彰式。賞金「??千円」を獲得したのは横浜から参加された丞二さん。2回目の優勝、おめでとうございます。優勝カップはそのまま持ち帰ってください。次回の幹事もよろしく。
新年会の席では、「岡崎城跡(弁当持ち)文化財探索ウォーク」の話も少し纏まり、第1回目の打ち合わせ日の設定までこぎつけた。
 さあ、新しい出発だ!
クラブハウス近く。パター練習場からの大山
 今年も、迷惑がる知人や同志を巻き込んで、元気に「弥勒菩薩」様にご挨拶ができるよう、退屈な日々の解消をめざし、大いに、遊んでもらおう。
 先日の「イヨリ峠越え」では無理であった「秦野側・東京カントリー」からの「大山」を撮影したのでUPします。



典型的な秦野側からの大山

富士山も美しい。
アウトのスタートホールからの大山




2014年1月7日火曜日

正月・群馬のイチゴ狩り・最高!!             相模原市北部からの大山山影、初眺望!!

勢原駅南口の近くに「サンドラック」という薬店がある。細君が利用者サービス券に応募し、標記のイチゴ狩りバス旅行を獲得した。しかし、数年前、別の店のサービス券に当選して、無料のバス旅行に参加したら、最後に高額の宝石店に連れて行かれて、偉い目にあった事があるので、警戒していたが今回は割引料金4000円で、高額店訪問もないと書いてある。この手の高額宝石店訪問は世間の不評の話題なっていたらしい。
と言う事で、日時の関係で6日、朝5時起きで、藤沢駅から参加した。
結果は、大成功。最近にない快適で、楽しいバス旅行となった。
そのポイントは
①圏央道(首都圏中央連絡自動車道)経由で関越道へ、の初体験
②相模原市北部からの大山山影の初眺望と撮影
③狭山から入間辺りの風景に接した事。(毛呂山町や越生町に近い)
 (この辺りは、大山石尊権現を勧進した小山が多い。)
④水沢寺で初詣。(昨年は東京・牛島神社)
⑤群馬での、雪降りのイチゴ狩り(やよいひめ)
などである。

以下、写真で報告。

圏央道寒川からの富士と大山

相模原市県道48号線北部大島団地からの大山

イチゴハウスの前で記念撮影

雪に見舞われたイチゴハウス

群馬県が開発した「やよいひめ」
一口食べて驚いた!甘い!!参加者皆感動!!
商品になっているのはこれより倍近く大きい。
平成13年登録。
「とねほっぺ」×「とちおとめ」×「とねほっぺ」を交雑


水沢寺
円空仏が起源だが実物は別館で展示。
写真は無かった。
http://www.mizusawakannon.or.jp/index.php

2014年1月2日木曜日

謹賀新年  初詣は伊勢原大神宮へ

 平素、元気をもらっているのがTVでのスポーツ中継です。元日では、「実業団ニューイヤー駅伝」、2日と3日は「箱根駅伝」です。特に、「箱根駅伝」は母校の「駒沢大」が毎年活躍するので、ワクワクしながら観ています。一度だけ、花水橋まで応援に行ったことがあります。
実業団駅伝には箱根組が多く出場するので、とても興味をもって観戦できます。その上、今年は沿道の「応援幟」に思ってもいない文字を見つけた。「南陽市役所」と書かれた「幟」がはためいている。生まれ在所の、山形県川西町の隣町の名です。昭和40年代に宮内町と赤湯町が合併してできた市で、東京に出るには必ず通る街でもあり、当時の子どもたちにとっても馴染みの街の名である。小さな町で、全国に轟くような文化は全く感じられない町である。従って、まさか出場しているとは思ってもいなかった。どこかのチームの応援だろうと思った位である。
 しかし、やはり地域の代表だった。後半、繰り上げスタートとなっていたが何故「南陽市役所」が駅伝で活躍するようになったか、想像もつかない。
 スポーツでは、置賜地域で有名なのが、米沢興譲館高校の先輩の、野球の皆川睦夫さん位である。高校野球も兄の母校の米沢工業高校が一度出場したくらいで、後は何もない。
 午後は騒がしいバラエティー番組なので、昼寝した後、妻を誘って「伊勢原大神宮」へ初詣。
 神社には4時頃ついたが、参拝者が道路まで並んでいる。手水で手間取っていた。お蔭で、神社の由緒をゆっくり読むことができた。
 現在、応援している「伊勢原村開村400年」のイベントを提唱している田中米昭氏の年賀状を読んだばかりなので、「元和6(1620)年」の文字が印象に残った。「伊勢原村開村400年」の起源や変遷については、今後、田中氏の許可を得て、我等がHPで紹介しようと思っている。