2014年3月26日水曜日

カルチャー教室「歴史みちを歩く」受講生募集・4月開講        池上真由美氏・中平竜二郎氏も講師に・・。

  かつて、
「津久井からの大山道再探訪: http://www2.tba.t-com.ne.jp/magoemu/tukuikiji.html」で
ご同道頂いた池上真由美氏より、今年、4月開講のカルチャー教室「歴史みちを歩く」のチラシが届きました。
 有料ですが大山道の研究者「中平龍二郎氏」の講座もあり、魅力的な講座の一つです。
 「羽根尾通り」「鎌倉道」のウォークには触手が動きます。
 池上氏とは、曾て、現鎌倉国宝館長・伊勢原市文化財保護委員である鈴木良明氏に、別々であるが、江戸道や古文書読みのご指導を受けた仲間として親しみを感じている間柄です。
 チラシをスキャンしましたので、奮ってご入会ください。

 

2014年3月15日土曜日

「作助ウォークⅥ」下見の下見に行ってきました。          新人ガイド歓迎ウォーク

 3月15日(土)原氏との下見の日ですが今日は新人のガイド担当、いせはら歴史解説アドバイザーの3期生、H・k氏にもご一緒頂き、3人で神奈川宿を歩きました。今回も、コースを覚えきれず、YAHOO地図で確認しながら歩きました。とは言え、やはり、2か所ばかり、行ったり来たりの場所もありましたが、同行者から、全体として「合格」との評価を頂き、嬉しい限りです。

神奈川台「田中屋」で案内板を見る。
竜馬の妻おりょうが働いていたと言う。
「田中屋」は文久年間、浮世絵に書かれた茶店の
「さくらや」を買い取りそれ以来、
「旅籠」を経営している。
途中、おなじコースの「文化財ウォーク」団体と出会ったり、帰りの電車で、偶然仲間に出会ったりと、印象深いウォークとなりました。
 原氏は、啓子氏のフットワークの良さに関心し、「心強いお仲間ができた!!」と喜んでいました。
 と言う事で、今回は横浜市の案内板の「浮世絵」や「写真」を中心に撮影しましたので、紹介します。


海を埋め立て、鉄道を引いた様子がよく分かる。
権現山の土をモッコで運んだのだろうか。

明治30年代の「お台場」の様子。今は駐車場になっていた。


開港当時の横浜港。「手前の岬」から下方の湾が神奈川宿台。
向かい側の岬が「ペリー上陸の場所。


開港当時の横浜港と現在の鉄道の位置。
分かりにくいが湾の向こう側の沿って書かれている黒い線が
現在のJR。その下にかすかに見える青い線が「みなとみらい線」
その上の陸に見える線が京浜急行。
絵をクリックすると絵が大きくなります。

2014年3月11日火曜日

「山口家住宅解説ボランティア養成講座」を受講         伊勢原市上粕屋の古民家「国登録有形文化財」

 平成26(2012)年3月10日(月)標記、ボランティア養成講座を受講しました。目的は、普段は見学者には家族で対応していたが、最近多くなった見学者に対応できなくなったので、援助をして欲しいと言う事らしい。
 山口家には2万点近くの歴史資料(古文書等)が残されていて、そう言った財産を「財団雨岳文庫」が保有すると共に、建物等の保全・管理、資料等の調査・研究、研究成果の発表等も財団が行い、活用に関しては、NPO法人「雨岳文庫を活用する会」を立ち上げ、生涯学習活動や歴史研究に供してきました。
 (以上、HP雨岳文庫を活用する会」
                     http://www.ugakubunko.com/htdocs/?page_id=22より引用) 
 従って、講座は、「山口家の各事業に参加や手伝いでき、「山口家について解説できるスタッフの養成」が主内容で、3日間設定され、6講座開設されていました。(写真参照)
今日は、その最終日で、折に触れ、御当主、山口匡一氏の穿った解説や文書・所蔵品の特別公開もあり、滅多に無い有意義な一日を送らせて頂いた。
 私も、安政年間、上粕谷の地代官であった山口家当主作助の江戸出府時の行程をたどる「ウォーク」の仲間であるので、喜んで「解説ボランティア」をさせていただきたいと申し込んできました。

剣術の免許皆伝書を見せてもらう

秘伝の巻物を解きはじめる
測量皆伝の巻物もあるとか!?
スクリーンには作助諸用控えが・・

  また、今回の講座に刺激され、宿場や峠の茶屋について、ネットで検索し、以下のような、なんとなく納得できる内容の解答を引き出した。皆さんのご指導を頂きたい。

<田村休茶代(32文=800円)の件>「ウィキペディア」より
◆「茶店」=交通手段が徒歩に限られていた時代には、宿場および峠やその前後で見られ、これらを「水茶屋(みずぢゃや)」「掛茶屋(かけぢゃや)」と言い、街道筋の所定の休憩所であった。立場にあれば「立場茶屋(たてばぢゃや)」と呼ばれていた。また、茶の葉を売る店は「葉茶屋(はぢゃや)」と言う。店先では、縁台緋毛氈や赤い布を掛け、赤い野点傘を差してある事も多い。
◆「水茶屋」の項=『守貞漫稿によれば、水茶屋では、最初に、1の価6くらいの茶を茶濾の小笟に入れ、上から湯を注したものを出し、しばらくいると、別に所望しなくても塩漬の桜か香煎を白湯に入れて出し、客の置く茶代は、1人で100文置く者もいるし、45人で100文あるいは200文置くこともあるが、1人の場合、標準は24文から50文の間であるという。
「YAHOO知恵袋」質疑応答
◆質問=江戸時代茶店でお茶1杯飲むといくらかかるのですか?まあ街中と峠では違うのでしょうが、また時代によっても、わかる範囲でお願いします。

◆回答=江戸時代の小額通貨は一文、四文、百文で、十文銭はあまり流通していませんでした。
このため、代金は四文の倍数が多いのです。
茶店はお茶1杯いくらというのでなく、腰掛ける場所(床机)、手洗いを貸す、煙草盆を出す、弁当を使わせる、といったサービスを提供していました。一休みして最低四文置いていたようです。
ほかの物価としては団子一串四文、そば十六文、あんま三十二文などです。
なお、江戸では夏になると担ぎの水売りが出て、立ち飲みで茶碗一杯一文だったそうです。

「追加情報」
翌日、作助ウォーク資料作成者の村上氏より、次のような追加情報を頂いた。
 

◆往時の旅人の旅程は140㎞。それに対して、きわめて粗末な食事内容でした。(茶店などで)途中でのエネルギー補給は欠かせません。
 箱根八里32㎞に13軒の甘酒茶屋があったといいます。甘酒8文(200円)、大福餅4文(100円)、串団子4文(100円)くらいだったようです。
 職人の1日の手間賃300350文(75008750円)。甘酒8文、大福餅4文も、ふつうの庶民には、馬鹿にできない値段だったと思います。
 しかし、間食は贅沢ではなく、必要経費だったと思われます。


 

2014年3月9日日曜日

写経・写仏 340枚目 納経・目標は1100枚        浄心寺写経会・お説教は「菩提薩埵」

 毎月第1金曜日は城所にある「浄心寺」の写経会があります。
 遠く藤沢や平塚からの参加者もおられて、総勢20名位で行われております。私は兄の菩提寺になってから、10年ほどお世話になっています。目標は写仏・写経含めて、最後の勤務校で亡くなった子供たち、11名の菩提を弔うため、一尊百枚で、合計千百枚。
 これから、どんな状態になっても、一字はかけるので、死ぬまでやることはなくなりません。やることがあることはとても大事なことだと思っていますので・・・。
 この日は、「般若心経」一枚写経し、ようやく、340枚目を納めることができました。まだまだ。
 また、この日のご住職のお説教は「般若心経」に出てくる「菩提薩埵(ぼだいさった)」。
 「菩提薩埵」とは梵語で「ボーディーサットヴァ」。略して「菩薩」。「観音菩薩・地蔵菩薩」の「菩薩」で、悟りを求める者、「求道者」と訳されます。元々は、釈尊が求道していたころの呼び名でしたが今では、求道者全体を言うようになっています。
 「菩薩」になるためには、「菩薩行(ぼさつぎょう)」に勤めなければなりません。「菩薩行」とは「六波羅蜜行」を実践することです。曹洞宗では「六波羅蜜」を写真のように訳しています。
 現在、私は、「仏」にはなれませんがこの内の一つ「忍辱」に留意し、豊かな老人生活を送ろうと努力しています。


2014年3月5日水曜日

「相州大山 今昔史跡めぐり」                 書評が「神奈川新聞」に掲載

表記、「相州大山 今昔史跡めぐり」の書評が神奈川新聞に掲載されました。
この書評を読んで、著者の宮崎武雄氏は、次のようなコメントをメールで寄せてくださいました。
 
 
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皆様へ
神奈川新聞の「相模大山 今昔史跡巡り」が書評欄に紹介されました。
大変うれしく、名誉なことですが、大きな問題を発見しました。
添付した書評の内容を読みますと「目からうろこの歴史秘話」なんと
素晴らしい見出しです。
しかし、裏返せばこれは全く大山の歴史を知らないということです
大山に僧兵が居たということ。幕末まで大山寺が支配していたこと。
神仏分離のこと。(間違えて書いています。混淆、分離の事が理解できてない)
記者でさえこの認識です。ましてや一般の人がわからないのは無理もありません。
大山、大山と騒ぐ前にもう少し真実を知ってもらったほうがいいと思いました
添付記事を読んでみてください。  宮崎
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私は次のように回答しました。


 
崎さんへ
全く、その通りですね。
考えてみれば、5年前までは私も何も知らなかった。
まして、神仏分離など最近です
権田直助を知って、少し調べて初めて知ることばかり・・・。
「道灌まつり」を見て「道灌と政子は夫婦」と思ってしまうようなものです。
正しく知っていただくには、やはり、何らかの方法で「発信」することが大事だと思っています。
頑張りましょう!   斉藤

2014年3月3日月曜日

今日は「雛祭り」  木端でお雛様を創りました。     凄いなあ!!!       

 今日は3月3日、ひな祭り。スーパー商戦に載せられて「雛あられ」を買ってしまいましたが、届いたメールには「手作りお雛さんの写真」。
 美香さんがこんな素晴らしい能力をお持ちの方とは知りませんでした。凄い!!!!
 我が友人、知人に自慢したいので、UPしました。
とにかく、メールから紹介します。
職場に飾っているそうです。皆大喜び!!







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今日は桃の節句ですね!
大田小の土器焼きの時いただいた
木端で作った お雛様です!
斉藤さんに是非見てほしくって
結構イイでしょ(*'-'*)エヘヘ
 実物は職場にもっていって
皆さんに楽しんでもらってます。
          美香より
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 一寸、解説しますと、「木端」と言うのは、私たち「いせはら歴史解説アドバイザー」は市教育委員会がやっている市内の小学校への出前授業「縄文土器作り」のお手伝いをしています。その土器の野焼きのときに使う「材木屋さんからいただいた燃し木」の中の気に入った木端があれば、一つ、二つ頂いて趣味に使っています。
 竹園小では、「燃し木」を下さった工務店の方が見えていましたので、きちんと、お断りしていただくこともあります。
 因みに、私は「刻字」をさせてもらいました。(写真参照)

2010「挑戦」
2011「希望」
2012「忍辱(にんにく)」



2014年3月1日土曜日

『大山詣り』の新作落語を聴いてきました。            「いきいきシニア伊勢原まつり」(中央公民館)で上演

 平成26年3月1日(日)、「アドおおやまみち」の宮崎武雄氏がチラシを作って、呼びかけておられる「大山詣り」の新作落語を聴きに行ってきました。
 その特徴は、宮崎氏のチラシで見てください。
 つまり、今まであった「大山詣り」という落語は大山詣の帰路の噺であるがこの落語は江戸からの上りの噺であるという。それも、信金に勤務されているアマチュアの方の作品であるという。
 噺は例の長屋の連中が、大家の先達で「大山詣り」に行くという噺で、さすがに、伊勢原の市民を喜ばせる地名、人名などを入れ、巧みだった。
 個人的に、心地よく聴けたのは、江戸から青山道を通って伊勢原に下ってくるくだりで、特に「青山から渋谷、大橋、三宿、三軒茶屋・・・・」と一気に語られた部分である。昭和35年代の学生時分、利用していた「玉川電車」の道筋を語っている。懐かしく、目をぱっちりと開けて、聞き漏らすまいと膝を乗り出していた。
 その他、気に入ったのは、大家が「世間や他人は変えられない。だから、自分を変える以外はない。」と喧嘩好きの熊さんを諭す場面であった。
 司会の方も言われていたが大笑いはできなかったが思わず「ククッ」と出る上等な笑いがあった。
 久しぶりに、アマチュアにしては、語りっぷりも、テンポも淀みなない、素敵な落語を聴くことができ、帰りのウォークは馬渡まで、25分、ルンルンで帰ることができた。