2014年5月30日金曜日

『現代押し花アート展』観覧 於:花菜ガーデン(平塚)        My wife 2点出品  

 例年、この時期、細君の所属している「現代押し花アート展」が平塚の「花菜ガーデン」で開催される。丁度、バラ満開の時期と重なり、連日沢山の方々が来園されるようである。
 なお、細君の過去の作品は次のHPに掲載してありますので、見て下さい。

          康翆の現代押し花アーと作品集

出品雪ん子





気仙沼・大島復興支援報告④              「明海荘」の女将「かよちゃん」の名刺が届きました

  今年、4回目の気仙沼・大島復興支援報告です。
 東日本大震災「気仙沼・大島復興支援募金」については、「ISEHARA・おもてなし隊ホームページ」で報告させていただいていますが、現在24,700円の募金を頂いています。
 この募金は、8月29日、四国香川県の讃岐うどん組合が主催する「讃岐うどんを食べていただく!!」というイベント時に、復興支援の拠点となっている大島の「明海荘」にお届けします。
また、このイベントには、神奈川の一隊も合流し、バザーや模擬店を出す予定です。
 25日、その打ち合わせに行かれた方から、「明海荘」の女将・かよさんの名刺つき、「わかめ」のお土産を頂きました。
 「明海荘」はこれから、ご夫婦二人だけで経営できるように、改装されるとお聞きしていましたがその後、どぷなったでしょうか!?


 
 
 



2014年5月29日木曜日

障害を持つ子の「子育て支援」講演会のお手伝い     於:伊勢原シティープラザ                   講師:PDDサポートセンター 篁 一誠先生

 5月29日(木)、予て、お誘いのあった標記講演会に出席。写真係をさせていただきました。

学校の名のある美術の先生が
提供して下さった絵を
ポスターにしました。
主題は「こどもにとどくことばのかけ方」。
 この演題は、普段、言葉がけに苦労されているお母さん方の心をとらえ、60人定員ですが申込者が多数で、10名追加。それでも、参加をお断りしたそうです。
 主催の「伊勢原手をつなぐ育成会」会長大杉あや子氏は、「次回は、もっと広い会場で、今回参加できなかった方を中心に、再度開催したい!」と最後にご挨拶されました。
 高齢化を迎えた日本は、今、障害児者を取り巻く状況にも、現実も、水面下でも大きな変革を余儀なくされています。
 そのことを、今回、切実に感じました。と言うことは、この講演会に参加の機会を下さったSSCの皆さんにお礼を言わねばなりません。お邪魔でなければ、次回のSSCに呼んでいただきたい。
 写真は、講演会の様子です。(クリックし、大きくして見て下さい。)
 動画も撮ってありますが公開はできませんのでSSCで見て下さい。


受付風景
講師の篁先生




満杯の会場


会場入り口の看板

精神疾患の病名変更                    「性同一性障害」☛「性別違和」                   「自閉性障害」☛「自閉スペクトラム症}     

 平成26(2014)年5月29日(木)朝刊で、標記のことを知りました。「寝耳に水」とはこのことで、この情報には全く無知でした。
 しかし、教育現場では、自閉スペクトラム症と言う病名で話されているという事でした。
それにしても、言葉の変更は「認知症」等の病名だけでなく、歴史教科書においてもあり、「助郷」が「伝馬役」に変更されているなど、なじみにくいことこの上なしです。
 「拒食症」が「神経性やせ症」とは恐れ入りました。
 

慶雲寺「倒れた石碑」の解読は難解!          第6回作助ウォーク下見                      歴史遺産案内板羅列しました。        

 平成26年5月28日(水)、標記ウォークの下見を行いました。上天気で、ゆっくり下見ができました。
 と言う事で、今回は、コース上に建てられている歴史遺産、遺物ガイドプレートの写真を羅列します。横浜市の説明なので、確認の意味で見て下さい。
         (クリックすれば大きくなります。)
 その前に、宿題であった慶雲寺本堂右の「倒れた石碑」の刻字を読んでみました。(右写真)

神奈川「台」と茶屋
「日本揮勝待泊會之碑」rとしか読めません。しかし、意味不明。何処か違っているのでしょう。「慶運寺」の信者や関係する会、謂れなど知っている方なら、何か思いつくではないでしょうか!?

本覚寺(アメリカ大使館)
権現山
宗興寺とヘボン博士






神奈川台場写真




神奈川台場跡

慶運寺(うらしま寺)


神奈川台の関門跡



鉄道の開通と埋立(中央の海の中が鉄道)

 


 

2014年5月23日金曜日

「まが玉づくり」制作指導・タウンニュースに掲載    伊勢原三之宮比々多神社「まが玉祭」イベント

 5月17日(土)・18日(日)、三之宮比々多神社「まが玉祭」で、今年二回目の「まが玉制作指導」を行いましたがその第2報です。
 今日、23日(金)のタウンニュースで、今年結成された「まが玉づくりの会」の件と共に、紹介されています。
 飯島代表が述べられているように、「日本の歴史や文化を感じ」、参加した子供たちは、制作したまが玉を胸にかけるとお互いに見せ合って、皆得意そうでした。「お母さんの分も作ってやるんだ!!だから、丁寧に作るよ!」と言う6年生の児童が3人いて、2時間も集中して作成し、走って帰って行来ました。
 「まが玉」の歴史的価値を理解したようで、とてもうれしかったなあ!

2014年5月21日水曜日

障害を持つお子さんの「子育て勉強会」に初参加     於:伊勢原市サポートセンター              子育てに悩んでおられるお母さんは、直ぐ電話で、ご連絡を・・・!


平成26(2014)年5月21日(水)。標記、勉強会と講演会開催の打ち合わせ会に出席してきました。と言うのも、掲載したチラシの「子育て講演会」をお世話している元県立養護学校長、飯田女史の依頼もあり、講演会時の書籍販売や写真撮影を担当することになっていたからでもあります。

すでに満席になったと言うこの講演会は、全国組織である「全日本手をつなぐ育成会」の伊勢原支部が主催し、SSC(スモールステップクラブ)が共催し、伊勢原で開催されることになったようです。

SSCは平成20(2008)年、障害を持つお子さんのお母さん方が中心となり、飯田女史を先生として招き、勉強会を始めたのが始まりのようです。   
 その精神には、「障害者であっても、障害があるからという生き方ではなく、人間としての生き方を追求したい。」と言う高い理念を持っています。 
   そして、勉強会では、「大きな変革を追求するのではなく、小さなステップから、親子で、着実に取り組み、成長してゆきたい。」と言う事を目標にしているように見えました。 

  正確には「スモールステップは、どんな課題もスモールステップを踏みながら登っていけば、そこに障害という概念を持ち込まなくてもいい、と言うユニバーサルデザインの考え方が根底にあります。人を障害で見ない。人生は今が全て、という哲学です。」と言う飯田女史からのコメントを頂きました。これがSS、つまりスモールステップと言う会の命名になっているのでしょう。

クリックして下さい。大きくなります。

この日の勉強会でも、県内各地からやってきた5名の会員の方々が、我が子の成長と反社会性や非社会性との相克に、家族や教師と取り組んでおられる、悩みの日々を語っていました。

それに対し、集まった仲間たちは体験談を語り、飯田女史の的確な助言で結ばれていました。

私事、現場から去って15年経っていますが何かお手伝いできることがあれば、これからも、「SSC」を応援してゆきたいと思っています。

 

◆SSCからのコメント

障害をお持ちのお子さんを育てられているお母さん!
       悩みがあったら、次の連絡先に、電話をください!!
   
      連絡先 SSC 高橋さん  ☎0463-91-4770

 

2014年5月18日日曜日

2回目の「まが玉づくり」制作指導             伊勢原三之宮比々多神社「まが玉祭」

 5月17日(土)・18日(日)、三之宮比々多神社「まが玉祭」で、今年二回目の「まが玉制作指導」を行いました。
 祭りに参加したスポーツ少年少女や近隣の少年少女も多数、来場し、にぎやかに、終了しました。毎年やってくる方もおられるようです。
 「まが玉」は古くから、霊力がある石として信じられ、今でも、神社などで使われています。
以下、新聞記事や写真、動画で祭りの様子をお知らせします。
 

写真はクリックして下さい。大きくなります。



 大好きなジャズが流れてきたので、「まが玉づくり」をエスケープし、動画撮影に行っちゃいました。
 ジャズバンド「阿夫利」は知り合いの息子さんもいるという事で、贔屓にしているバンドです。
 とにかく、大好きなバンドです。

 
 
☚伊勢原 三ノ宮比々多神社 
  まが玉祭 
  ジャズアンサンブル阿夫利
    の演奏   
  「コーヒールンバ」
伊勢原 三ノ宮比々多神社まが玉祭 





 ジャズアンサンブル阿夫利の演奏☛   
  「We love ISEHARA1」
 シンガー:加藤姉妹
TV:「アド街ック天国」に出演。



   
 

「We love ISEHARA」の歌詞は
下のURL。 http://www.city.isehara.kanagawa.jp/kakuka/kodomo/seisyounen/pdf/welobeisehara_words.pdf

 
 

2014年5月16日金曜日

埼玉県川越市に残る「お太刀洗いの儀式激写!     ブログ「Gakenchi」(毛呂山町 町田氏)だより①


615日(日)、「ISEHARA・おもてなし隊」が再度、権田直助の生地であり、大山信仰も盛んであった毛呂山町と太田道灌の父、道真の墓所、龍穏寺がある越生町を、関係者5名で訪問するに当たり、毛呂山町歴史民俗資料館や越生町文化財係、さらに毛呂山町の郷土史研究家、町田美雄氏等のご協力を頂けることになった。           
その後、このツアーに東京都から、大山道研究家や出版社員等2名の参加希望者があり、賑やかになりそうである。
その町田氏より、川越市に、今も残る大山講中の「納め太刀」に関する一連の儀式を撮影したブログがUPしたと言う報が届いた。
ここに、URLを記すので、是非覗いて見て頂きたい。
 
  <タイトル;大山関連 お太刀洗い>
 
氏のブログは、埼玉県全域にわたり、歴史文化財に関する情報が満載されており、写真も鮮明で、見やすい。
今回の毛呂山町訪問の切っ掛けも、氏のブログで発せられた「毛呂山町の石尊山と不動堂に残る納め太知」の情報からである。
さらに、大山信仰に関する貴重な情報や写真が記録されてもいるので、氏のブログを探って見て頂きたいが今後、このブログでも紹介してゆきたい。


2014年5月12日月曜日

五月晴れの中・念願の『大山登頂』成功!           ガイド氏及び参加者に感謝!!!


平成26年5月11日(日)、滅多にないような五月晴れで、吹きあげる風も涼しく、疲れた体に心地良く、吹き寄せてくれる。1週間前は雨の予報では、雨50%で、「また雨か!」とがっかりしたが、その後、予報は好転し、降水量0%の好天となった。石尊権現の霊験か?取りあえず、雨男の異名は取り下げられそうだ。

参加者は皆、こんな最高の天気に感激しながら、滑ったり、転んだりしたが、怪我もなく蓑毛に下ることができた。めでたし! めでたし!

特に、今回(私はここ5年で4回登っているが・・・)出合った貴重で、滅多に無い出会いや体験を箇条書きで書いてみたい。



下社階段下でガイド中。
写真はクリックすると大きくなります。

①ガイドの諏訪間氏の参加


今回、ガイドをお願いしてあった「相州大山 今昔めぐり」の著者、宮崎氏が腰痛で参加できなくなり、ファンの美香女史も残念がったが急遽、前文化財課の諏訪間伸氏が参加をしてくださり、これを「勿怪の幸い」とばかりに、登樊リーダーもお願いし、山頂の発掘や大山の様々な事情やイベントにも詳しい氏のガイドもお願いした。特に、参加者の誰もが初体験の蓑毛道にある「女人禁制の碑」のガイドには、皆感動した。   

その他、リーダーとして、歩行の速度など気を遣いながら、けが人の出ないよう、谷底に転げ落ちない様、リードして下さったことには大いに感謝したい。

②高尾山講中の、山伏姿での「本社及び奥の院参拝」登頂の実際を間近にし、動画撮影できた事。



高尾山講中の開経の偈
  下社から登山門に入ろうとすると、最前、バス発着所で見かけた「高尾山講中」の一隊(女性を含む山伏姿の一団)が開経偈と読経を始めていた。私も「摩訶般若波羅蜜多心経」を合唱させて頂いた。驚いたのは、原氏。「神道の山で、お経とは・・・。」と。しかし、直ぐ気が付いたらしい。大山は江戸期、仏教に支配されていたことを・・・。

◆高尾山と大山との関係は、次のHPで見て下さい。

http://www.takaosan.info/mame4-3.html 
 (高尾山通信  高尾山と大山詣り クリックして下さい。)

 

「心経」の狙いは、「自己陶酔の域」に到達する事ではなかろうか!それが「真言」の神髄なのかもしれない。「真言」とは「言葉」に真実があり、その言葉を念ずれば彼岸に到達するという教え。「南無阿彌陀仏」と唱えるだけでよい。
道元の曹洞宗では、「只管打座」、彼岸に到達するためには、ひたすら座禅に打ち込むだけ。自分で解決しなければならない。「心経」は釈迦の言葉ではなく、後世の高僧が276文字の中で、仏教の真髄を教えている。従って、宗派を超えた、「経文」である。しかし、「真言」では、最後の「即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」と唱えるこの文言時に至ると読経者の身も心も、周囲から解放され、遊離し、自己のみとなる事が大切なのではなかろうか。そして、何もかもから解放されて、ひたすら「行」に打ち込み、「則身成仏」する。
 

 因みに、「羯諦羯諦」を私流に釈文すると、「 行こうぞ! 行こうぞ! 彼岸の、悟りの世界に行こうぞ! 」となる。自分を奮い立たせる言葉であろうか?


少し疲れた!!

江戸期、「大山講中」は、そんな風に世間から解放され、非日常性の中に身を置くために大山寺に至り、「護摩炊き」の行(ぎょう)に、接したのであろう。

しかし、それは、今は、ない。阿夫利神社の「祝詞」だけでは, 現代の関八州の人々の精神は解放されるだろうか!?。阿夫利神社の石尊信仰と「大山寺の護摩炊き」に人気が戻れば、大山の賑わいは戻りそうな気がする。


 高尾山講中は、その後、ほら貝5基を吹き鳴らし、「さんげ、さんげ、六根清浄」と轟渡る修行の祈りを、動画に納めた。YoutubeへのUPの許可も得たので、見てください。お仲間は関東一円の信者さんらしい。

この様子が、滅多に出会い無い風景である。今日の計画に感謝した。


富士山が美しい!(富士見台から)





③いせはら歴史解説アドバイザー3期生のご参加

















最後の最後に、子ども科学館の「まが玉づくり」でご一緒だった3期生k氏の参加を得、とても嬉しかった。K氏も宮崎氏の不参加が気になっていたらしいが、「大山登頂」挑戦にも意欲があったらしい。

あらゆる面で、達者らしく、体力、知力、品格を供えられた楽しい方の参加を得て、皆、大喜びであった。

今後、「ISEHARA・おもてなし隊」の起爆剤になって頂きたい。

また、最近知り合えた3期生の方々の動きは、これからの「いせはら歴史解説アドバイザー」の仲間作りの新しい息吹を感じさせてくれる。過去の組織や実績にとらわれない新しい息吹です。


④高齢者登山の留意点





山頂で記念撮影。(若いペアーが撮ってくれました。)
 高齢者登山の隆盛は長いが事故の報告も多い。今回の経験で得たものは、要するに、体力減退の現象もあるが転倒や転落の最大の要因は「バランス感覚の老化」が最大の要因のように感じた。傾斜や石ころ、小枝、砂状土などに乗り上げた場合、若い頃なら上手にバランスを取り、転倒はしなかった。

 我々が滑った道を、若い連中がマラソンして下ってくるのを見るとそれ以外感じられない。

 ここでも、「おもてなし隊」の出番であった。皆で、拍手や声掛けで励ましてあげた。彼らは笑顔満面で、嬉しそうに諸手を上げて、応えて、走り去って行った。




⑤「ISEHARA・おもてなし隊」の知名度を上げた4本の旗(表紙に掲載)


 前回、「岡崎城ウォーク」で諏訪間氏に作って頂いた6本の旗の内、4本持参。旗には、細君が、昨日の「緑化祭り」で手に入れた「クルリンちゃん」のシールをはった。

 参道土産店のご主人がそれを見つけ「おお!伊勢原の人たちだね!」と声をかけてくれた。「はーい!ISEHARA・おもてなし隊でーす。」と大声で宣伝できた。
女人禁制の碑
(現代の世にこれがあるのは怪しからぬとの抗議もあるとか)


 山頂の記念撮影時も、4本の旗を広げて撮影。その時、「おもてなし隊って何!?」と、やはり原氏に聞いてきた中年の女性があったとか。原さんの事だから、懇切丁寧な説明をした事であろう。

 

また、長くなってしまった。止めよう。

兎に角、大成功の大山登山となった。



賽の河原(この首のない仏像に激しい憤りを感じたウォーカーもおられたが、
実際は、「神仏分離令」で賛同した何処かの信者たちが首を落としたのであろう。
伊勢原だけでなく、秦野にも、首のない仏像を見て、
なんとなく、当時の事情が理解できた。
蓑毛バス停までもう少し。
 




 



 

◆下の二つの画面は「高尾山講中」の動画です。
◆「▼マーク」をクリックしてください。
 「スタートボタン」も▼です。クリックしてください。


















2014年5月7日水曜日

子ども科学館で「まが玉づくり」制作指導            3日間はきつかった



当日の朝の科学館階段
伊勢原子ども科学館では、ゴールデンウィーク中、子ども科学館フェスティバルが開催され、その中で、今年初めて、「古代の技術に挑戦!」と名打った工作教室「まが玉づくり」が取り入れられた。制作指導者として、いせはら歴史解説アドバイザー有志がつくっている「まが玉づくりの会」にお声がかかった。

歴史と工作では、目標が違うかもしれないが制作指導姿勢は同じで良いであろう。そんなことで、全3日間の制作指導に出張った。計画では、一日100名の子ども達を対象にし、指導者は10名程度である。正直な所、3年間、三之宮神社での指導体験からすれば、幼児から生徒まで幅広く扱う3日間の指導はきついとは思ったが、科学館の担当者には「ISEHARA・おもてなし隊」の事業で、一方ならぬお世話になっているので、恩返しのつもりであった。さらに、彼の為にも、この事業は成功させたいと願ってもいたからである。

実際、この疲れは一日後の7日に出た。熱と咳と頭痛と吐き気で、半日ベットに横たわっていた。

11日(日)には大山登山があり、14日(水)には町内会のゴルフコンペがある。体力と集中力、意欲に不安が出た。しかし、23日寝れば治ると言うバカな信念がある。

科学館での「まが玉づくり」指導の結果は、「我が人生最大の幸福な3日間」となった。これぞ「ISEHARA・おもてなし隊」の「おもてなし精神の神髄の体験」できたと一人感激できたからだ。
初日の打ち合わせ

何故か。


第一に、参加者が神社のお祭りにやってくる親子、孫子と一寸違うような気がしたこと。様々な科学館のイベント内容を選別して、「まが玉づくり」を狙って参加する方々が多かったことである。全ての参加者とは言わないが、親御さんの中には、まが玉の歴史内容やと当時の工作方法などに興味をもち、突っ込んだ質問をしてくるなどである。こういう方々を集めて、「まが玉教室」を開催したくなった。

第二に、ゴールデンウィークには海外まで出かける親子が多い中、何らかの事情で、遠出できない親子の受け皿になっていたこと。例えば、パソコンを抱えた父親に連れられてやって来た子、孫子、3人を預かってやってきた5人組、母親がペルーという二人の兄弟、乳呑児を抱き、3人の子を連れてやってきた若夫婦など、自分らの現在の状況で楽しめる最高の場所が科学館だったらしい。

途中から、このことに気づき、楽しい「まが玉づくり」の展開だけを考えた。


最終日の制作指導風景
一つは、年齢にあった工作能力が、どの段階かを最初にしらせ、親子共に無理な完成品を狙わないようにする取り組みである。親が「ああしろ、こうしろ」と言っても出来ない子は泣きだしてします。そうなったら子供には地獄である。折角のゴールデンウィークが楽しくない。

そんな時は、親御さんにも作業を手伝わせる作戦を取った。結果、作品に凝ってしまい、なかなか帰らない父親まで出現した。そんな父親を母と子は自慢げに胸を張っていた。


二つ目は、出来上がった作品を大袈裟に誉めること。例え、モデルと遠く離れてしまった作品でも、誉める所は沢山ある。人と違う事を誉めればいい。今回「まが玉づくり」のヒットは最後の磨きである。『爪磨き』を使用すると言う担当者の工夫が、素晴らしい光沢を引きだした。この光沢を誉めればよい。


結果は、ニコニコと帰ってゆく。


高校生のテーマ館もあった。

 
三つめは仲間との連携である。帰りかけた子を見つけたら、作品を見せてもらい、例の「誉め作戦」を展開する。あちこちで、拍手が起こったり、ニコニコ振り返りながら部屋を出て行く子が多くなった。


傑作は、「鏡」の持ち込みであった。指導者の我々が知らない間に作業部屋内の鏡が置かれていた。それで、出来上がった「まが玉」を首にかけた自分の姿を喜んでもらおうと言う仕掛けである。これは「まが玉づくりの会」という組織を最高のものにしようという意識が無ければできない業である。組織のたまものと言っても過言ではない。
鏡が出て来る前は、スポーツ表彰式のメダル掛けの真似をして、一人が人間カラオケで音楽をやり、一人が首にかけてやると言う事をやってみた。これは殊の外、子ども達は嬉しそうだった。こんなことも、きちんと代表がいて、意思統一ができた組織でなければ思いつかないであろう。

論文のように長くなってしまったが、今回の「まが玉づくり」の参加者は、一日平均100名の子ども達と、それと同程度の引率者がやってきた。指導者一人、3日間で50人以上の子ども達に対応したことになる。そして、その実践内容は、上記のような「おもてなし」中心の取り組みであり、参加者の満足げな、笑顔のオンパレード現象を創出できたことに大満足なのである。

「ISEHARA・おもてなし隊」のこれからの有りよう目標にしたい。