2014年5月12日月曜日

五月晴れの中・念願の『大山登頂』成功!           ガイド氏及び参加者に感謝!!!


平成26年5月11日(日)、滅多にないような五月晴れで、吹きあげる風も涼しく、疲れた体に心地良く、吹き寄せてくれる。1週間前は雨の予報では、雨50%で、「また雨か!」とがっかりしたが、その後、予報は好転し、降水量0%の好天となった。石尊権現の霊験か?取りあえず、雨男の異名は取り下げられそうだ。

参加者は皆、こんな最高の天気に感激しながら、滑ったり、転んだりしたが、怪我もなく蓑毛に下ることができた。めでたし! めでたし!

特に、今回(私はここ5年で4回登っているが・・・)出合った貴重で、滅多に無い出会いや体験を箇条書きで書いてみたい。



下社階段下でガイド中。
写真はクリックすると大きくなります。

①ガイドの諏訪間氏の参加


今回、ガイドをお願いしてあった「相州大山 今昔めぐり」の著者、宮崎氏が腰痛で参加できなくなり、ファンの美香女史も残念がったが急遽、前文化財課の諏訪間伸氏が参加をしてくださり、これを「勿怪の幸い」とばかりに、登樊リーダーもお願いし、山頂の発掘や大山の様々な事情やイベントにも詳しい氏のガイドもお願いした。特に、参加者の誰もが初体験の蓑毛道にある「女人禁制の碑」のガイドには、皆感動した。   

その他、リーダーとして、歩行の速度など気を遣いながら、けが人の出ないよう、谷底に転げ落ちない様、リードして下さったことには大いに感謝したい。

②高尾山講中の、山伏姿での「本社及び奥の院参拝」登頂の実際を間近にし、動画撮影できた事。



高尾山講中の開経の偈
  下社から登山門に入ろうとすると、最前、バス発着所で見かけた「高尾山講中」の一隊(女性を含む山伏姿の一団)が開経偈と読経を始めていた。私も「摩訶般若波羅蜜多心経」を合唱させて頂いた。驚いたのは、原氏。「神道の山で、お経とは・・・。」と。しかし、直ぐ気が付いたらしい。大山は江戸期、仏教に支配されていたことを・・・。

◆高尾山と大山との関係は、次のHPで見て下さい。

http://www.takaosan.info/mame4-3.html 
 (高尾山通信  高尾山と大山詣り クリックして下さい。)

 

「心経」の狙いは、「自己陶酔の域」に到達する事ではなかろうか!それが「真言」の神髄なのかもしれない。「真言」とは「言葉」に真実があり、その言葉を念ずれば彼岸に到達するという教え。「南無阿彌陀仏」と唱えるだけでよい。
道元の曹洞宗では、「只管打座」、彼岸に到達するためには、ひたすら座禅に打ち込むだけ。自分で解決しなければならない。「心経」は釈迦の言葉ではなく、後世の高僧が276文字の中で、仏教の真髄を教えている。従って、宗派を超えた、「経文」である。しかし、「真言」では、最後の「即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」と唱えるこの文言時に至ると読経者の身も心も、周囲から解放され、遊離し、自己のみとなる事が大切なのではなかろうか。そして、何もかもから解放されて、ひたすら「行」に打ち込み、「則身成仏」する。
 

 因みに、「羯諦羯諦」を私流に釈文すると、「 行こうぞ! 行こうぞ! 彼岸の、悟りの世界に行こうぞ! 」となる。自分を奮い立たせる言葉であろうか?


少し疲れた!!

江戸期、「大山講中」は、そんな風に世間から解放され、非日常性の中に身を置くために大山寺に至り、「護摩炊き」の行(ぎょう)に、接したのであろう。

しかし、それは、今は、ない。阿夫利神社の「祝詞」だけでは, 現代の関八州の人々の精神は解放されるだろうか!?。阿夫利神社の石尊信仰と「大山寺の護摩炊き」に人気が戻れば、大山の賑わいは戻りそうな気がする。


 高尾山講中は、その後、ほら貝5基を吹き鳴らし、「さんげ、さんげ、六根清浄」と轟渡る修行の祈りを、動画に納めた。YoutubeへのUPの許可も得たので、見てください。お仲間は関東一円の信者さんらしい。

この様子が、滅多に出会い無い風景である。今日の計画に感謝した。


富士山が美しい!(富士見台から)





③いせはら歴史解説アドバイザー3期生のご参加

















最後の最後に、子ども科学館の「まが玉づくり」でご一緒だった3期生k氏の参加を得、とても嬉しかった。K氏も宮崎氏の不参加が気になっていたらしいが、「大山登頂」挑戦にも意欲があったらしい。

あらゆる面で、達者らしく、体力、知力、品格を供えられた楽しい方の参加を得て、皆、大喜びであった。

今後、「ISEHARA・おもてなし隊」の起爆剤になって頂きたい。

また、最近知り合えた3期生の方々の動きは、これからの「いせはら歴史解説アドバイザー」の仲間作りの新しい息吹を感じさせてくれる。過去の組織や実績にとらわれない新しい息吹です。


④高齢者登山の留意点





山頂で記念撮影。(若いペアーが撮ってくれました。)
 高齢者登山の隆盛は長いが事故の報告も多い。今回の経験で得たものは、要するに、体力減退の現象もあるが転倒や転落の最大の要因は「バランス感覚の老化」が最大の要因のように感じた。傾斜や石ころ、小枝、砂状土などに乗り上げた場合、若い頃なら上手にバランスを取り、転倒はしなかった。

 我々が滑った道を、若い連中がマラソンして下ってくるのを見るとそれ以外感じられない。

 ここでも、「おもてなし隊」の出番であった。皆で、拍手や声掛けで励ましてあげた。彼らは笑顔満面で、嬉しそうに諸手を上げて、応えて、走り去って行った。




⑤「ISEHARA・おもてなし隊」の知名度を上げた4本の旗(表紙に掲載)


 前回、「岡崎城ウォーク」で諏訪間氏に作って頂いた6本の旗の内、4本持参。旗には、細君が、昨日の「緑化祭り」で手に入れた「クルリンちゃん」のシールをはった。

 参道土産店のご主人がそれを見つけ「おお!伊勢原の人たちだね!」と声をかけてくれた。「はーい!ISEHARA・おもてなし隊でーす。」と大声で宣伝できた。
女人禁制の碑
(現代の世にこれがあるのは怪しからぬとの抗議もあるとか)


 山頂の記念撮影時も、4本の旗を広げて撮影。その時、「おもてなし隊って何!?」と、やはり原氏に聞いてきた中年の女性があったとか。原さんの事だから、懇切丁寧な説明をした事であろう。

 

また、長くなってしまった。止めよう。

兎に角、大成功の大山登山となった。



賽の河原(この首のない仏像に激しい憤りを感じたウォーカーもおられたが、
実際は、「神仏分離令」で賛同した何処かの信者たちが首を落としたのであろう。
伊勢原だけでなく、秦野にも、首のない仏像を見て、
なんとなく、当時の事情が理解できた。
蓑毛バス停までもう少し。
 




 



 

◆下の二つの画面は「高尾山講中」の動画です。
◆「▼マーク」をクリックしてください。
 「スタートボタン」も▼です。クリックしてください。


















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