2014年6月22日日曜日

毛呂山・越生・圏央道・弾丸ツアー200㎞<その4> 「権田直助生家跡」☛昼食は名物の「柚子うどん」

「權田直助生家跡」は毛呂本郷にある。

江戸期の毛呂本郷

 きちんと、町の史跡指定を受け、看板も設置されていたが、最初に細君と訪問した4年前は、タクシーの運転手さんさへ知らなかった。しかし、その4年後の、今回の、3回目の訪問では「権田直助」は毛呂山町の3大偉人の一人になっていた。

現在の毛呂本郷

 

4年前、「いせはら歴史解説アドバイザー」講座で調査した時、直助について語ってくれた受講者は一人のおられなかった。しかし、調べてみると、幕末から明治期の激動の歴史の中で武力闘争に奔走した一時期もあったが、晩年、大山の地から出版した「句読点考」は直助の偉業であると感じた。そして、句読点学者のネット情報に触れ、ますます、確信した。小さい時分から、読み物や国語が好きだった児童期の自分を重ね合わせることも多くなった。

私のコメントが掲載された広報誌

 

そこで、生誕地訪問となったが生誕地では「医師」としての評価が大で、その他は小であった。毛呂山の図書館にあった「句読点考」を少しコピーし、持ち帰った。その後、ネットや風人社のミニコミ誌「KAZESAYAGE」などで、彼の「句読点考」に関する情報を発信。それでも、伊勢原の郷土史家には、「権田直助の生涯を紹介しているだけで、人物評には値しない。生涯年表ですむ内容である。」と酷評され、今も相手にされていない。

しかし、毛呂山町では、全町挙げて支持してくれた。直助の偉人評価に、一石を投じてくれた伊勢原の人として、今も大事にしてもらっている。

そんな訳で、直助の生誕地訪問は三回目であるが、ここで、生誕地跡に建つ「岡部米店」の社長、岡部和雄氏は毛呂山町の議員さんで、二年前、大山講中の阿夫利神社参拝で大山宿坊「下神崎荘」に宿泊された時お会いしているがここでお会いするのは初めてである。伊勢原からやってくる我々を、多忙な中、時間を取って、ご挨拶に来てくれたのである。

生家前の看板と石碑
生家の岡部米店前
毛呂山町議 岡部氏もご挨拶に・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ISEHARA・おもてなし隊」は「いせはら歴史解説アドバイザー」がメンバーと言う事で、伊勢原市以外では高い評価を得ていることを市外に出れば、いつも実感している。その分、いつも身を引き締めている。

 

 

昼食は、先回、美味であった「柚子うどん」を所望しました。

名物柚子うどん店

この辺りは、山地で、寒冷。柑橘系は育たないという。しかし、柚子は上手く育ち、名物となっている。その柚子を使ったうどんを創意工夫の末、「柚子うどん」を売っている店がある。

この日も、人気で、周囲は自家用車で埋まっていた。

腰のあるうどんで、細君の土産に買った。






 

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