2014年6月23日月曜日

毛呂山・越生・圏央道・弾丸ツアー200㎞<その5> 越生町「龍穏寺」☛「建康寺」☛「山吹の里」

「越生町」を知ったのは、やはり、4年前である。

権田直助の生誕地が「毛呂山町」で、「行ってみたい!」と言う話になった時、「それじゃ!越生にも行かなきゃ!」と言う西部女史の発言で即決。西部氏は伊勢原の観光ボランティアの大ベテラン。運転者は、相州霊山「大山」研究の第一人者、宮崎武雄氏、「俺も行く!」と同道してくれたのは、伊勢原郷土史研究会長 渡部氏と錚々たるメンバー。私は企画推進で頑張った。

 その時から、越生町の虜になった。梅や柑橘類の樹木の茂った山里の風情は、やはり児童期、置賜盆地の真ん中から、小松や梨郷の山々へ薬草、きのこ取りに行った幸福な時代の思い出が蘇ったのであろう。

龍穏寺前の谷川

まして、龍穏寺の佇まいは、観光化された寺院風景と違い、永遠の静寂さが保障され、谷川の水音だけ聞こえる「己の世界」が実現できそうな自然に囲まれている。

 2度目の訪問が終わった今、自分の墓地のあり場所として、本気で考えている。

ガイドされる近江氏

 前回の案内者は、毛呂山町の佐藤学芸員さんの紹介で、越生町文化財課主幹の石川氏であったが今回は、文化財課に最近採用されたという近江さんという若者であった。「私はまだまだ未熟者で・・・。」と言いながらも、子ども達をガイドする様子を交えて話すガイド内容は、丁寧で、一言も逃さず聞いてもらおうとする気概に溢れ、好感度は最高でした。

 圧巻は、「栴檀林」と書かれた山門扁額の下でのガイドでした。

「駒澤大学の校歌をご存じの方はおりますか?」という言葉から始まった。龍穏寺は曹洞宗であるから、現在、その教義は「駒澤大学」で学ぶ。大学の基礎となったのは、古く「栴檀林」と呼ばれた学舎であった。

♪♪ 栴檀林!栴檀林!時代は正しく飛躍し来たれり。捕えよ!我が友、この現実!♪♪

神宮球場で、応援団長の指揮で歌った応援の校歌である。

ここまで深く中に入ったガイドは聞いたことがない。素晴らしい導入である。バスガイドさんの宛がい扶持のガイドとは一味違う「品」の高さを感じられた。

 

 
道灌父子の墓標

デジカメのバッテリーが切れて、良い写真が無いので,「龍穏寺」「自得軒」「建康寺」「やまぶきの里」等の情報については、次のサイトでみて確かめて頂きたい。

 

http://saitama.hiwadasan.com/ogose/index.html(旅 越生町)

 

 

http://www.ohoka-inst.com/kenkouji.pdf(建康寺)

 

 

龍穏寺ご住職さんのご歓待を受けて・・。

最後に、龍穏寺のご住職、芹沢聡海氏、ご自身が、奥方と共に、我々を温かく迎えてくださり、御本尊様への合掌や名物ジュース「ゆずの介」で、おもてなし下さったことには大いに感動しました。心から感謝申し上げます。



また、同行した伊勢原の「道灌の和歌の研究」では第1人者の飯島是光氏が、「義務感ではなく、自分の心から楽しめる旅となった。企画力と言い、人脈と言い、君の力が分かったよ。とても良かった!」と何度もお礼を言って下さったのが嬉しかった。

とにかく、「越生町」は一度は住んでみたい場所である。

年休を取ってガイドをしてくださった近江さん、ありがとう!!!

この日の帰路は、東京組とは「やまぶきの里」でお別れし、伊勢原組は、厚木市に入ってから、皆で夕食を取り、無事、自宅玄関まで送り届けて頂きました。

参加者の皆さん、いろいろありがとう。お世話になりました。


 


道灌像の前で記念撮影




 

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