2014年10月31日金曜日

大山参道に「ざる菊1000鉢」余話

 標記「ざる菊」の報道は、タウンニュースに掲載されていた。   
  (記事参照)

クリックすれば拡大
 
 

しかし、この記事に書かれていない「功労団体」がある。「みどりのまち振興財団」に所属する『花づくりボランティア』(代表 諸伏正義氏)のお仲間である。登録している市民は31名であるが実際活動しているのは20名前後とか。
 15年ほど前、私も、細君と一緒に2年ほど活動したが女性パワーに圧倒され、私のみダウン。細君は残って活動。今では、経験者として、指導的立場で活動している。パートナーとしては「大したもんである。」と称賛している。
 その細君お話では、1000鉢の「ざる菊」の鉢を作ったのは、このボランティアが主で、連日15人ほどが、都合をつけ、交替で畑にやってきて、作り上げたという。この作業は思っているより、鉢や土が重く、激務であったという。苗つくり、除草作業、追肥などの年間作業も職員の管理の元、「参道に1000鉢のざる菊を・・・。」という掛け声のもとに、一生懸命作業に没頭したらしい。
「タウンニュースのこの記事には、その苦労が全く書かれていない。仲間との、あの一生懸命さが自己満足で終わるのか!?」
「ボランティアとはそんなもんだよ!」と慰めるしかない。
しかし、大山振興を願っている歴史アドバイザーとしては、細君のお仲間に、「ご苦労さん!!」とねぎらいたいので、ここに掲載させて頂きました。

2014年10月29日水曜日

比々多小学校の縄文土器「焼成(野焼き)」に参ず。

  標記、「野焼き」は先週の雨天で、本日に延期。秋晴れの中、1学期に作成した6年生4クラスの縄文土器の野焼き焼成に他のアドバイザー4名と参加。
 今回は、文化財課職員は、焼成中の急激な加熱による「割れ」を少なくするため、初期に行う、周囲からの加熱をじっくり、丁寧に、時間を十分かけて行うよう、打ち合わせていたようだ。9時半頃火入れを行い、13時30分まで、周囲から焼成。いつもの倍近い時間を、周囲からの焼き時間にかけたことになる。
 上からの蔽い焼成は4~50分ほど。
燃し木が工務店の廃材なので、よく燃え、火力も強かったのか、いつもより、「割れ」が少ない。底が完全に外れたのは6個あったが他はトラブルもなかった。まさに、奇跡的ともいえる出来栄えである。文化財課職員の工夫の跡が見える。
 私も昨年の失敗から、陶芸家の話しを聞いていたが、ゆっくり、周囲から加熱するようにと言う助言を得ていたので、納得。
 一つの目安がついたので、次回の大田小学校から野焼きも、うまく行くであろう。

 話題はそれるが、「岡崎城」の案内看板の件は、設置者が「観光課」と言う事だが、文化財課から破損の連絡はしてくれると言う事で、一安心した。例の案内板は、一度復旧させたが、再度破壊されたらしい。これらの情報は、市役所には届いていると言う事で、安心した。
 今後も、市民の通報にはきちんと対応して欲しい。そうでないと市民は「やる気」を失くしてしまうと言うのが、歴アド間の専らの話題になっている。



 

2014年10月28日火曜日

「書籍出版」おめでとう!!                 「ISEHARA・おもてなし隊」会員・飯田美枝子氏

 東日本大震災「気仙沼・大島」」の復興支援活動が「ご縁」となり、「I・おもてなし隊」に加入された秦野市在住の飯田美枝子氏が、この度「障害のある子どもに学ぶお母さんたち」(発行:大楊社。¥1400。)という書籍を出版されました。氏は、県立小田原養護学校長を退職された後、伊勢原市馬渡にある「社会福祉法 さくらの家福祉農園」理事長代理を務められ、同時に、伊勢原市を拠点として、障害を持つお子さんを育てておられる県内のお母さん方の相談役も続けて来られ、この度の出版は、その経過と実績の報告を を兼ねた書籍です。
 この勉強会は、当ブログでもご紹介させて頂いたことがありますが、月一度、「いせはら市民活動サポートセンター」で行っており、「I・おもてなし隊」の定例会時など、お会いしたことがあります。また、「歴アドゴルフコンぺ」のいわき市復興支援のための「スパリゾート旅行」にもご一緒頂いております。
クリックすると大きくなります。
 私も勉強会に出席したことがありますが、遠く愛川町からの参加者もおられ、障害を持つお子さんを育てる上での具体的な悩みが主体で、解決方法も、母親同士の経験の話し合いから導くと言う勉強会で、最後は飯田氏のスーパーバイスで終了していました。




 この書籍の出版に当たっては、その苦労話もお聞きしていますので、この度の出版には、本当に「おめでとう!」と申し上げたい。
飯田氏には、今後のさらなる活躍をご期待申し上げます。

平成26(2014)年828日(金)、気仙沼・大島の復興基地となっている
旅館「明海荘の女将かよさん」に「大山道絵はがき募金」を手渡しました。
 (写真左が飯田氏)




2014年10月24日金曜日

破壊された「相模岡崎城跡」案内板を発見               文化財課に報告しました。

看板の真中のひび割れがあります。

 本日(10月24日<木>)、サポセンフェスタの案内状を町内の関係者に配布のため歩いている途中、無量寺から大句に下る坂道の途中にある「岡崎城」の案内板が破壊されているのを発見しました。取り付け鋲から二つに割られた案内板が横に置かれていました。

 今、「アドおおやまみち」の皆さんと、先々、失いそうな、様々な道標の説明看板を、自費で掲げている最中なので、一寸、ショックを受けました。壊したのか、壊れたのかわかりませんが大きな力が加わったことは事実です。


岡崎城案内板一つ目

 「アドおおやまみち」の建てた看板は、木製で、これほど強くありません。また、「ISEHARA・おもてなし隊」が建てようとしている「野陣台説明板」も分厚い板を考えていますが

 

自費ですので、これ以上頑丈には建てられません。壊される不安ばかりが湧きあがってきました。

  しかし、これらへの対応に関しても、「いせはら歴史解説アドバイザー」の大切な任務と思い、早速、文化財課に報告し、善処をお願いしました。私たち市民の自己資金で建てた看板は、善処などとは言っておれません。また、自費で修理です。一寸、気が重くなります。

2014年10月20日月曜日

NPO法人「花」の交流会に出席                           今年も、K子さんに会いました。

  平塚市南金目にあるNPO法人「花」は、障害者及び高齢者に対して、介護及び福祉に関する事業を行い、障害者や高齢者が安心して暮らすことができる地域社会の構築を目指しています。私はこの施設の第三者委員になっています。理事長の中野氏とは友人関係にあったので要請され、喜んで引き受けました。第三者委員と言うのは、何か問題が起こった時に、その調査や解決方法、調停方法などを提案する役目ですが今の所、全く仕事はありません。しかし、毎年の交流会には呼ばれています。昨年は結成している歌仲間と一緒に、歌を歌わせて頂きました。今年は何もありませんが楽しみがあります。入所者のK子さんに会う事です。


中野理事長のご挨拶
K子さんはダウン氏症候群(ダウン症)と言うハンディを持って生を受けました。ダウン症とは、21番目の染色体が三本あることによりおこるハンディで、どんな民族でも、つり上がった眼、幅広く扁平な鼻、内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)などの特徴的な相貌と知的障害や心臓疾患などの障害を共有して生まれ、日本では1000人に一人の割合でみられる症候群ですが、皆さん、穏やかで、愛想が良く、陽気な性格を持っています。従って、世間を余り困らせることもなく、上手に世間に溶け込んでいる場合もあります。しかし、昭和期は20歳までの命とDrから宣告されるのが常でした。しかし、現在は50歳と言われています。

私がK子さんに出合ったのは、今から35年前。彼女の就学相談の時でした。彼女は母親に連れられて来校し、相談室では母親から余り離れることもなく、元気に動き回っていましたが年齢の割に小柄で、幼く見えました。

母親は開口一番、「先生!私は市からこの学校に相談に行くように言われたので、来ただけです。この子を学校に上げるつもりはありませんから・・・?」と平然と、そして毅然と宣言しました。母親は昭和期の通常の学校教育を受けています。しかし、障害を持って生まれたお子さんのご家族は、大抵、世間と対峙しています。「世間の方には分かってもらっても仕方ない。」と。

さらに続けます。「だって、そうでしょう?この子は5歳まで生きられれば十分と言われているんです。もう過ぎました。残りの時間を一緒にいたいんです。」

そうですね!」と私は言うだけで、就学義務等のことは決して言いません。

私は即座に、小学部低学年の教室にK子さんを案内しました。K子さんは教室に入るなり、他の子のおもちゃに飛びつきました。取られた子はひっくり返って、反抗しますが、K子さんは得意満面で、奪ったおもちゃで遊び始めました。そんなことの繰り返しです。

相談室に戻ると私は母親に話し掛けました。

K子ちゃんはお母さんといるときが一番幸せそうですね。でもね、お友達からおもちゃを取った時も嬉しそうでしたよ。お母さんもお覚えているでしょう?小さい頃、友達と喧嘩したり、仲良くしたり、どっかへ出かけたりしたことなんか。とても幸せでしたよね。K子さんも同じです。短い命かもしれないけど、友達と一緒にいる喜びや幸せをK子さんにあげましょうよ!」


その日、母親はそのまま帰りましたが後日、学校に行かせるとの報告を受けたと、市教委から報告がありました。

母親と再び出合ったのは33年後の1昨年でした。「花」に入所したK子さんの保護者として活動していました。「合唱のイベント」で訪問していた私が駆けよると、大きな笑顔で握手し、叫んでくれました。「K子は30歳を過ぎましたよ!あの時が嘘のようです!」と。

5年の命と言われていた子が40歳近くなっても元気です。平均寿命なんて、もう誰も言いません。

今年もK子さんに会いました。ハワイアンダンスを、生真面目な顔で踊って見せてくれました。彼女の笑顔を見ることが私の「生きがい」の一つにもなっています。障害を持っている方は「他人の援助はできない邪魔者だ!」と言う方がおられますが、私は、障害を持ったK子さんに「生きがい」を戴いています。障害者が「人と人との間」に位置すると言う言葉を実感しています。




2014年10月15日水曜日

台風一過『顔振峠から大山を望む』                       毛呂山町便り<町田氏メール便>  

 平成26年10月14日(火)は大型台風9号が真夜中に本州中央部を縦断し、大騒ぎをさせて通過していった翌日です。 伊勢原市民は皆、予定変更を余儀なくされると思っていたが13日(月)14日(火)共、普段の生活を変えることもなく、台風は過ぎ去っていった。

 ブロガーは14日、JA主催のゴルフコンペ(於:伊勢原cc)で、中止と思っていたが天気は真夏並みの暑い一日となった。その上、寒気が南下し、空気は澄み渡り、岡崎のゴルフ練習場の金網は勿論、「スカイツリー」も見えた。カメラを持参しなかったのが悔やまれた。

 成績は160人中、58位(シンペリ)。飛び賞もなく、帰宅したが標記のメールで元気百倍。

 嬉しい便りであった。

顔振峠URL  http://r.gnavi.co.jp/m53xne520000/map/

 

斉藤 勢吾 様

台風一過で澄み切った青空でしたので

大山と富士山を撮りました。

自宅から30分程の所に有ります 顔振峠 (こうぶりとうげ)で

撮りました。富士山は雲に邪魔されましたが、大山はハッキリと見えました。

左端が大山で、右端が富士山ですが、小さすぎて よく見えません。





あと10分ほど登りますと、安房、上野、下野、相模、武蔵、上総、下総、常陸の

関東八州が見晴らせる、関八州見晴らし台が有ります、冬晴れの日に登って

大山を撮ってみたいと思います。

明日は川越に行きますので太田道灌ツアーの下見をしてきます。

また、よろしくお願いいたします。

町田美雄 

2014年10月3日金曜日

今年のお彼岸仏前展示写経は「修証義」                      平塚市城所『浄心寺』


標記「浄心寺」では、例年、秋の彼岸には、本堂次の間で、写教会参加者の「写経展示会」を開催し、お墓詣りの檀家さんに公開しています。今年は9月の写教会に参加できなかったので、事前の写経を持参して、展示して頂きました。それを、ご住職が写真にしたものをくださいました。

写真はクリックすると大きくなります。

普段は、「摩訶般若波羅蜜多心経」を写していましたので、「修証義」は初めてです。ひらがな混じりなので、大好きな経典で、何時か写してみたいと思っていました。今回は初めてなので、手本を敷いて写させて頂きました。『修証義』とは、曹洞宗の開祖、道元禅師の著した『正法眼蔵』の教えを、一般の人にもわかりやすく明治23年に編集されたものです。

また、浄心寺では「座禅会」もやっており、1度参加しましたが続きませんでした。

さらに、ご住職は「新潟」ご出身のようで、良寛さんの事を良く、話されます。良寛さんは若い頃、岡山県の圓通寺で修業されたことから、同じ岡山県出身で、同窓の大通寺住職の柴口君も「良寛さん研究」新資料を発見し、曹洞宗学会で発表しています。(資料参照)

機会があれば、浄心寺ご住職の「良寛さんの話を聞く会」と「座禅会」を開催し、皆さんをお誘いしてみたい。


「修証義の解説」

http://teishoin.net/sutra/501.html


http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/soutou-k.html